橋本 知成 | Tomonari HASHIMOTO

橋本は、独特な金属質のテクスチャーを持った重厚感のある陶芸作品を制作し、これまで国内外で数々の展覧会に参加・作品を発表してきました。

球体を含めた巨大な幾何学形態、モノリスのような作品は、全て手捻りで土を積み上げて成形され、最終的に金属質が高い釉薬を施した後、レンガを積み上げた巨大な窯でゆっくりと焼き上げられています。無機質なフォルムでありながらも、手でつくられた造形には巨大で重厚な物体と人間の身体的との対比があり、美しい金属質の表面は光のあたる具合や長い時間の経過の中で表情を変えていきます。

本展では、四角柱の陶器作品やモルタルを組み合わせた大型作品を中心に発表いたします。ソリッドで重厚感のあるキューブは重力から放たれたのか、どこか別の場所から長い年月を飛び越してここに置かれているのか、何かの意味を持って作られた碑のような印象と同時に、素材の対比と組み合わせによって生み出される違和感と軽やかな浮遊感を持ちあせています。

幼いころ夢中だった折り紙やプラモデルに寺社仏閣。彫刻家の父が作る等身の石膏像やブロンズ像を日々目にしてきました。家の窓から見える庭の草木や、その奥に広がる山々、車窓からの移りゆくランドスケープを見ることが好きでした。こういった幼少期からの経験が制作の背景にあります。
仕事に対する姿勢として、個人的な考えや思いとの距離感を意識しながら、それでも残る作家の熱量が感じられるものを作りたいと思っています。数字では計算できない揺らぎ、ものの佇まいや存在を取り巻く環境を大切にしています。 - 橋本 知成

Hey, River Snake C’mon.

parcelでは、8月27日より、KINJO 個展 “Hey, River Snake C’mon.” を開催いたします。PARCEL JUNCTIONとして2020年9月に初個展を開催して以来、PARCELとしては2度目の個展開催となります。

本展では、暗闇に光る目を描いた“One’s eyes”、生き物やアニメのシーンをモチーフとした作品、それらをパッチワークした作品シリーズなど、大小のキャンバスをインスタレーションとともに展示いたします。

暗闇の中に光るキャラクターのような目を描いたKINJOの代表的なシリーズは、作家自身が幼少期に他人の目や向けられる視線に苦手意識を持っていたことが原点にあります。歳を重ねることでその視線に対する恐怖心は薄れていきましたが、当時の意識は心のなかに留まっており、目がモチーフの作品を作るようになりました。KINJOの描く目は抽象化され、キャラクターやアニメを通して既視感があるからこそ我々はそれを即時に「目」だと認識できます。また、絵画の中にある目はこちら側のどこかを見ているようですが、全体像は闇に隠れ明らかになっていません。視線を注ぐ側・受ける側の両者には間があり、視線を受ける側は相手の姿かたちや目線の行き先を知らないままキャンバスの向こうに想像を巡らせているのです。

また、生き物をモチーフとした作品シリーズは、KINJOの親族が様々な種類の動物を多く飼育していることから、身近な存在の一つとして描かれています。そこには人命より寿命の短いペットが家に迎えられ、死に、繁殖してまた新しく生まれるというサイクルがあり、同時にその周囲ではペットを飼うこと自体についての議論も起こります。しかし周囲の意見はペットの存在と密接にある作家の感情とは少し離れたところにあり、また飼い主ではなく時折飼育を手伝っている作家に対して直接ぶつけられるものでもなく、そこにはKINJOにしか感じ得ない、他人との意識のずれやすれ違いが生じます。

アニメのシーンが描かれている作品も同様に、KINJOの扱う一見キャッチーなモチーフは、記号的なメッセージではなく、作家自身のルーツとも言えるような個人的な事象の表現として描かれています。それらはキャンバスの上で描いては消され、時に異なる断片的なモチーフが接ぎ合わされます。なにかの目、生き物を飼うという行為に伴う社会性、フィクションと現実との関係性など、それらを描く行為を繰り返しながら、他者との感情のすれ違いやコミュニケーションに生まれる歪み、そしてその中にいる自身に対しての客観的な視点をキャンバス上に描き出しているのです。

 


 

先日、姉からミーアキャットが4匹生まれたという連絡があり、そのうちの1匹が産まれてすぐに亡くなってしまったらしい。色々な動物を飼っている人が身近にいると産まれたり、亡くなったり、また新しく増えたりとのサイクルが早く、近しくある。その頃ちょうど見ていたアニメが1話完結のループを繰り返すストーリーであり、繰り返し現れるThe Endの文字がやたら目の裏に焼きついて残った。


地元の仲間達が集まると僕の家族が飼う動物の話題が盛り上がるが、決まってある友人が怪訝な顔をする。彼は、人が動物を飼育すること自体に問題を感じるらしい。僕の家族は近所では少し有名で、まるで犬を散歩させるように街の中でミーアキャットを散歩させている。他にもフクロウや蛇など色々な動物が家にいて、最近は90度に反り返ったポーズを取るデカいトカゲが新しく仲間に加わった。友人の気持ちも理解できるが、変わった動物に関われる生活が気に入ってもいる。

自分は、どっちかに偏るのを避けるきらいがある。どうしてかはわからない。
その理由を理解しないといけないとも思わない。
なんでかは、わからない。そんなわからない自分の感情を言葉にすることもできない。
できないけど、できるようにならないといけないというわけでもない。
できなくてもいいし、できてもいい。
言葉にできたら、ラッキーくらいに思ってる。
でも、そうやって言葉が出てきた瞬間、その出てきた言葉以外のものが落ちて無くなっていってしまう気がして、その落ちていきそうな言葉とそれに絡まっている感情をなんとか落とすまいとしてしまう。そうやって考えているうちに、いつの間にか、自分の作品たちが言葉じゃない言葉で喋ってくれている。そんな気がする。

– KINJO

parcelでは、箕浦建太郎 個展「せ」を開催いたします。2020年1月PARCELにて開催した個展「き」以来、2年ぶりの個展開催となります。
幼い頃より箕浦は漫画やアニメ、ゲーム、映画、音楽など様々なカルチャーに触れながら、主に絵画、音楽を中心にジャンルの境界を感じさせない表現を続けてきました。それらを通して得た経験が凝縮し、そして描き続けることで要素が削ぎ落とされていき、現在の生き物のような何かが形として現れている箕浦の作風へと繋がります。描かれているそれらが何なのかははっきりしませんが、複雑に重なった多彩な絵具や塗料の絵画空間の中で、一言では形容し難い曖昧な表情をして佇んでいます。また、近年精力的に制作している陶器の作品もプリミティブな表情を持ち、掘り起こされた土器のような素朴な重量感や、古代に何かしらの対象として祀られていたかもしれないような独特な存在感を放っています。
絵画作品、立体作品を通して、箕浦の作品の根底には生き物としての原始的な感覚があります。それは絵画としての画面を整えるバランス感覚や整理・洗練された造形美による感動ではなく、物事や感情に名前や言葉をつける以前から人間が体を通して得る物理的・原始的な感触に近いものであり、絵の中の「彼ら」は筆や絵の具、粘土の質量や質感を含みながら、生命を持った何かとして、時にアンバランスな姿かたちでその存在を表しているのです。

even a worm will turn

parcelでは、5月21日より横手太紀の初個展  “even a worm will turn”を開催いたします。

横手太紀は東京藝術大学院彫刻科に在籍しながら、ビニール袋、瓦礫、道に転がる石、ブルーシートなど普段気に留められることの少ない身近な物に着目し、既製品の動きを使った彫刻やインスタレーションなどを制作しています。横手の表現には、見慣れた物体に元々あった役割や記号的な意味合いを見るのではなく、それらの純粋な姿や動きに着目し、それぞれを固有の存在として捉えることが軸にあります。塵や埃のような小さな存在や元は建物の一部であった瓦礫などの無機物に思いもよらぬ動きや視点を与えることで、違和感や居心地の悪さと共に、あらゆる物に個々の時間が流れていることや認識しきれない様々な現象への想像を広げさせてくれるのです。

作家自身初の個展となる本展では、新作の映像作品、大小様々な彫刻作品、インスタレーション作品を発表いたします。是非ご高覧くださいませ。

 


 

駅に向かういつもの道で瓦礫の山を見つけた。何の建物だったかとしばらく考えたが思い出せない。明日にはこうして忘れてたことさえもう覚えていないのかもしれない。日々きりがないくらい何かを忘れながら、そしてそれ以前に記憶にすら留まらない色々に気づかないまま生きていると考えると、忘れられていくもの、見落とされているものにも人と同じ時間が流れ、それぞれの物語が紡がれている。
家の埃は服や布団の繊維、外から来た砂などで出来ていると聞いた事があるが、うちの埃にもさっきの瓦礫の塵が混じっているかもしれないと思うと、長い旅の末そこにあるように感じて掃除できなかったりする。それは自分の彫刻が身勝手に動き予測不能な方向へ行ったり、摩擦や劣化により変化しても、元のように修復せずそのままにしておきたいと思う感覚に近い。

毎日見きれない程の情報が目に入ってきて、自分たちの生活に関係がないことはほとんどが素通りされてしまう。彫刻はそんな存在たちの日々を見つめ、想像する助けになるように思う。

– 横手 太紀

Earth Song, Birth Gong

parcelでは、4月2日より安野谷 昌穂個展 “Earth Song, Birth Gong”を開催いたします。
安野谷にとって2年ぶりの個展となる本展では、スケールある新作大小様々なペインティング作品を発表いたします。

本展で発表される作品は2020年頃〜2022年に制作されているものが中心になります。それ以前にも、世界中では現在と変わらず限りなく出来事が起こっていたはずなのですが、コロナ以降、世界はこれまでより一層混沌とし、日々耳を塞ぎきれない程の情報が入ってくるように思えます。報道される現実や噂話に限らず、現象に映し出された人の美しさや醜さ、または個人的な人間関係の出来事や、春になって日差しが気持ちいい、などといった様々な性質の事象が今同時に起こっている、という感触が以前に増して強くなったようにも感じられます。多様な情報はこちらの意思に構わず日々体の中に入り込んできますが、自身の内に蓄積したそれらの輪郭をなぞり、消化するのは容易ではありません。

安野谷の作品は、ペインティング、ドローイング、コラージュ、パフォーマンス、写真など、多様な手法を用いており、それぞれの作品の表情は大きく違います。本展にて発表されるパネルに描かれた作品では、土を耕し作物を育てるように、もしくは子供が枝で地面を掘り返して遊ぶように、パネルの上に石灰を盛り、削る、描く、重ねる、という行為が何層にも繰り返されています。その一方で、キャンバス作品では、空気を内包し、音のような何かに色をつけるようにして、アクリル・油彩などが優しく何度も重ねられています。どの作品においても、身の周りに起こる出来事、環境を知覚することで安野谷に引き起こされた感覚が発端として描かれており、それらの感覚は言語的思考とは別の場所(安野谷の言葉では 思考の裏側にある無意識の領域)から丁寧に呼び起こされ、最適なマテリアルや手法を手探りながら色が重ねられ形作られているのです。

各シリーズ、作品は極めて実験的に制作されていますが、これは安野谷自身が語るように「常に初心者であること」を大切にしているためです。プリミティブな線や形状、予期せぬ偶発的な色味や現象を作品に活かすため、あえて耐えず慣れない技法に手を出し、組み合わせながら独特な世界観を構成していくのです。それは彼が自分の周辺で知覚した時の感覚を、純度高く支持体に留めておくための行為とも言えます。

展覧会タイトルにあるように、本展では、地(地球、地面、地上)、生(エネルギー、死、命)のイメージが作品に表出しています。今ここで我々が吸ってる東京の空気と安野谷の住む兵庫、戦争が起こっている別の場所の煙たい空気は全て繋がっており、同じものであるということ。生死を巡るエネルギーと、それらを包んでいるもののかたちとしての地球、人体、家、動物や虫のすみか、子宮もそれと等しくあること。森羅万象、全て同様であり連続しているという感覚を安野谷は絵画を通して明るみにします。

作品を通して、具象化することのない事象や作家個人が感じた言葉のつかないイメージ、そして絵画の持つエネルギーを感じて頂ければ幸いです。


朝靄の中に ひとつぶの祈りを たてます
呼応する 草木と我が身を ひと時に

白光する
Phase

the one – I love – 愛す Earth ハートの ACE
待ち焦がれた降臨 救世主の光輪
Alright – Bright – Light 往来 – space to space

暗やみと炫の未知
子宮と地球 つなぐ道
Heart – Beat – Road

大地に突き刺さるリズムに合わせて どこまでも 信じて歩いて行ける

光の気配

必ずつかまえて離さないで
叩き始めるところに在れ
I know you mean
愛の夢
Deep Sleep

無数の狼煙は天高く立ち昇り 合流する
Warrior 立ち上がった 虹を纏って
壁は崩れて 突っ立って
噂がHOTに 嘘がホントに

街のまぼろし 暴かれる正体 未知の魔物に 取り憑かれてたみたい
Death Limit Controlled – Demo Gimme Uncontrolled
わい の はなし Why Not War Nothing
嘘っぱちの戦争の糞っぱち
NO – FREEDOM – YES
どのくらい平気
ERROR – MIRROR – ERA
Don’t Cry Baby
RAGE – AGE – STAGE
魔法帯びた風をひきつれ 揺れあそぶ
正常な体温ではいられない

抑えきれない 熱い魂の爆発 あなたの生にして

起ちあがれ 覚醒と連鎖
荒野に光を帯びたるは 戦士の背中
ぶっ飛ばせ ハートに込めた熱い弾丸で
You wake up to open your true eyes
miracle 大いなる 見えてくる circle
上を向いたら はじまりの合図
下を感じて 受け入れて
Grounding Riot

Soil Boiled
地平線に我
交差す
+

耕せ 風のように

Earth Song, Birth Gong 2022 Masaho Anotani

Insect Technology and Other Small Things

この度、PARCELではギャラリーとして2つ目の拠点となるスペース「parcel」をPARCELの真裏に位置するまるかビルの2Fに開廊いたします。

「parcel」では4月に予定しているまるかビルの全館オープンに先立ち、こけら落としに、PARCELとしての第一回目の展示「Comic Abstraction by Writers」にも参加したラッセル・モーリスの個展「Insect Technology and Other Small Things」を開催いたします。


ラッセル・モーリスは1975年 イギリスに生まれ、現在は日本を拠点に活動をしています。ヨーロッパにおけるグラフィティ文化から発祥したムーブメント「Comic Abstraction」の第一人者であり、またそれらのカルチャーとファッションを繋ぐ先鋭的なファッションブランド「Gasius」のディレクターとしても広く知られています。アートにおいてもファッションにおいてもモーリスの表現は多くのアーティスト達に影響を与えており、グラフィティが歴史化される重要な部分を担うアーティストです。

モーリスの代表的な作風はグラフィティのレタリングやサンプリング表現を出発点に、コミックやアニメのフィクション表現に見られる記号的な造形を解体 / 再構築する絵画です。時に作品は魔術的かつ謎めいた古代文字の羅列のようであり、サイエンスフィクションの世界に登場する建築物の断片のようです。このようなモーリスの実践はストリートカルチャーに一括りされるものではなく、ヨーロッパ各地の美術館やアートセンターで展覧会を行っています。2010年にはイギリスの歴史あるプライズ「New Contemporaries」に選出され ICA(Institute of Contemporary Arts)での展覧会に参加。2016年にはイギリスを代表するアーティストレジデンス「Somerset House」での滞在制作・展覧会を行なっています。

今回発表する新作は、昆虫の形を抽象化し、シンメトリー、黄金比、チューリングパターン、フラクタルなどの造形パターンをサンプリング / リミックスした、幾何学的な大型絵画とコラージュのシリーズです。様々な種類の幾何学模様、断片的なイメージを絵画上に繋ぎ合わせられていくことで、顕微鏡で小さな生態系を覗き見たような世界観が表現されています。一見はグラフィカルかつポップな印象を持つ作品群ですが、生物や自然物が持つ造形の特性を熟知し、非常に高度なレベルで表現されているのです。そのようなモーリスの表現は、アニメやアニメーション同様、ストリートカルチャーの表現が自然界に存在する有機的で抽象的な形状に基づいていることを感じさせると共に、ストリートアートがサイケデリックアートや神秘主義と結びついていることを示唆しています。

また、モーリスの表現が持つ重要な観点は、芸術におけるジャンルの枠組みで分断されている知性や文脈を接続していくことにあります。モーリスの出発点はグラフィティですが、イギリスのセントラル・セント・マーチンで修士号を取得しています。音楽やファッションは勿論のこと、SFやアニメーションにも造詣が深く、自然科学やコンピューターサイエンスまでその興味の幅は広範囲に及びます。モーリスのスタジオには様々な資料やコレクションでひしめき合い、いわゆるアートスタジオとは異なり小さな博物館のようです。アクリルボックスの中に様々な素材のオブジェクトをアッサンブラージュする特徴的なシリーズでは、異なる文脈の物事を組み合わせるインターメディアアートの方式を採用しています。モーリスの表現の多くには様々なサンプリングが行われており、それが独特なリズムとミステリアスな雰囲気を作り出しているのです。

グラフィティを軸としながら様々な専門分野の知性の破片をコラージュし、未知なる視覚的体験を開拓するアーティスト、ラッセル・モーリスの2年ぶりの個展となります。是非ともご高覧ください。



自然界における、魔法めいた テクノロジーとも言える現象は無限である。フィボナッチ螺旋は顕微鏡で視認できるものから、銀河に跨るサイズで存在しています。

本展覧会では、微細な昆虫の形状や彼らのテクノロジー、それらとロボットとの共通点(複雑かつ単純な知的生命として)や顕微鏡写真(視認できない奇跡)などといった小さなスケールのマテリアルに対する、モーリスの深い造詣と探究心、その痕跡が垣間見られます。昆虫は奇怪でありながら時に革新的なほど奇妙で、特に歩く彫刻の様なツノゼミは、モーリスにとって長らく創造への重要な潤滑油でした。

リサーチによって得られたこれらのマテリアルは創造の出発点となり、鑑賞者のためではなくモーリスによる個人的な理論に基づいて情報へと消化され、転換されていきます。彼のドローイングは自身が納得するまで制作が繰り返された(もしくは自己を反映した)結果であり、この反復が時折作品自体をより複雑で難解にし、謎を深めています。

ほかにも多くのニュアンス、空気感や美的感覚が制作に影響、もしくは参照元として使用されています。それは太陽に赤く照らされた1970年代のプログレッシブ・ロックとSCI-FIが混ざったような感覚であったり、当然ながら昔のアニメや漫画も参照されています。80年代の日本のバブル期の雰囲気のメタル調の青や緑、サーモンピンク色なども。これらは色味だけのことではなく、形状やテクスチャ、さらにはパターン、時には粉っぽくマットでひび割れていたり…..反射するくらいメタリックで、夕焼けのグラデーションから感じ取れる無限の広がりの様だったりするのです。

作品の全てがグラフィティ史の香りをわずかに纏った抽象的なアニメ調でまとめられながら、フォルムと審美的な部分が隠されています。
ここで一つの疑問に当たります。
「そこにメッセージはあるのか?」
確実に存在はしているが、それは藪の中に絡まっているのです。

これが、Nuclear Romanticismなのです..

— Russell Maurice