Twister

この度PARCELでは2度目となります彫刻家、森靖の個展「Twister」を開催いたします。新作群とともにオーストラリアのNGV(ビクトリア国立美術館)に収蔵が決まっている作品も会期前半のみではありますが、展示いたします。

兼ねてから森の作品のモチーフはアメリカのポップアイコンから中世古典彫刻まで、非常に長い時系列の上に成り立っており、その要素を縦横無尽に行き来しながら我々に「美」などの根源的な要素や、記号論的な思い込みや意識に対して問いかけます。

本展のメインを構成するのは2体の大型彫刻作品です。その高さは人類が医学的な記録上現存する最長の記録272cmに迫ります。森いわく「人間が形を留められる範囲で、美のMAXのスケールを表現している」としていますが、それを可能としているのが作品に使用している、人間の最高齢の記録である120年に近い樹齢の木でもあります。大型作品にこだわり続け制作を続けている森は「指先で容易に画面越しのイメージを拡大縮小できる時代において、スケールを変えるという感覚は生活の中で今は当たり前のように存在している。あまりにも画面の中での世界で生活をする時間が長くなっている今だからこそ、現実においてのスケールを実感することが必要だと感じている」と言います。小さな仏像から巨像までを手がけた運慶の没後800年を2024年に迎える中、同じく手のひらに乗るサイズから3M近い彫刻を手がけることに、デジタル技術の恩恵の元生活をしている今だからこそ森は必然性をより強く感じているのです。

また使用する素材の物質性や、古典彫刻からポップアイコンまでの美の変遷や価値観など、一つの作品に閉じ込めた森の作品は様々な事象がツイストした(ねじれた)状態で共存しています。森の制作プロセスの特徴の一つとして即興性が挙げられます。当然ある程度造形的な意味での完成形を想定しながら制作は進行していくのですが、その過程で予定調和(初期の完成像)を一気に転覆/転換させる要素(パーツ)を追加したり、あった物を削ぎ落としたり、というツイストを段階的に加えるプロセスを反復しながら最終形へと向かいます。

これら「完成形態」を決定するところに森独自のaestheticがあります。美術文脈のみならず、大衆的な「美」に対する意識についても森は持論を展開します。

「50‘sのマリリンモンローの映像を見ると確かに美しいのだが、後に俳優や芸人のするマリリンモンローのコスプレやモノマネでは、マリリンモンロー本人よりもマリリンモンローのイメージに合っているように感じることがある。その様な美しさに関するカリカチュア的な事に、美の可能性があると思う。」本物と比べて歪んだ状態にこそが本物以上に本物として見られ、視認されやすい状況(形状)に森は魅了され、作品にも反映されています。

また人為性についても「終局間近になった棋士たちが敗北を自覚しつつ美しい投了図を目指して何手かコマを進める。これは数値化するのが難しい”美の領域”だ。」(後藤正治著)を引用しつつ森は「自然物の塊を目の前にした時、圧倒的な存在感と質量と形体に打ちのめされてしまう。それでも僕は彫刻家としてカタチにしていく事で、美の領域を探っていければと思う。そして、今後もどんなにテクノロジーが進んでいっても、技術を制限すればするほど人間にしかできない美的感覚からくる表現が出来ると思う。」と語ります。

画一的な美が存在せず、多様性が求められている時代において、森は彫刻を通して我々に対し「美」とは何で、誰に対し、どのようにして示すものなのかを改めて問い直すのです。

TAIPEI DANGDAI 2023

この度PARCELではTaipei Dangdai にて小畑多丘・CMTKの作品を発表いたします。CMTKとして初の台湾での発表、小畑のキャンバス作品シリーズは初の発表の機会となります。

1980年生まれの彫刻家、小畑多丘は自身もブレイクダンサーだというルーツを元に、B-BOYにインスピレーションを受けた一連の人体彫刻作品で知られております。近年は彫刻作品のみならず、塑像と彫像の関係性をもとにしたキャンバス作品を発表しています。絵具を厚く塗り敷いたキャンバス上から絵具を「削り」とり、その質量をそのまま移動させて「盛り」、ダンスにも通ずるリズミカルな身体の動きによるキャンバス作品へのアプローチを展開しています。今回発表するキャンバス作品では、色彩が削ぎ落とされ絵具の物質性や身体性によりフォーカスした作品を展示いたします。


また、本フェアでは「BUTTAI」シリーズの彫刻作品を発表いたします。「BUTTAI」は、初期は作家の写真・映像作品として登場することが多かったモチーフですが、地球上で重力によって成り立った形であり、重力に動きを支配されている人体に対する存在として、重力から開放され、宙に浮いた状態で小畑のキャンバス作品上にも存在しています。人体彫刻のダウンジャケットのシワだけを抽出したことで出来たこの形から派生し、今回発表する作品では成形した粘土を作家自身が作った作品に落下させることでダイレクトにシワを複写させ、さらに変形させたものをスキャンして拡大し、最終的には木彫として形にしています。作家として初期より通してテーマに持つ重力と人体、質量と空間を語るに欠かせない存在として、キャンバス作品とともにBUTTAIは数年ぶりの発表となります。


森と金氏の二人で活動する時の名義「CMTK」のコラボレーションは、森が長年にわたって日常的に撮影を続ける路上、風景、テレビ画面などを対象とした写真と、様々な方法で収集した既存のイメージを、金氏が編集、コラージュすることから始まり、レンチキュラーなどの特殊な印刷を中心とした作品群、アニメーションなどの映像、さまざまなメディウムを用いた作品として発表されてきました。


森の写真は瞬間的に過ぎ去ってしまう、もしくはゴミのように扱われる事物や状況が持つ美しさや光、あるいはここではないどこかへの入り口のようなものであり、金氏によって客観的にコラージュされることにより、それらは複数の視線による無数の切断と接続の連続が混在した、現実と虚構を行き来するオルタナティブなイメージになります。


ユニットやコレクティブでの活動や制作が珍しくなくなった今日において、CMTKの作品は個々の主張がぶつかり合う共作やコラボレーションとは異なります。外部の作家や他分野の方ともプロジェクトをこなしてきた両者だからこそ、連名ではなくあえてCMTKとして別人格を立て制作をする意味、可能性を示した作品を展開しています。


また、森と金氏が語るように「最も身近で、すぐ隣にいる他者、異物、謎、そのような存在と共有しているものと共有できないもの、それらと向き合い作品を制作することで、現在を検証し、遠く離れた時間や場所またはそこにあるイメージや出来事を想像したり、思い出したり、反転させたりすることを試みる。例えどのような状況であっても、その状況特有の美しさがあるということを信じている。」と出自の異なる物事が重なり合うことにより生まれ、見えてくる新しい景色や視点を感じていただけると幸いです。

90’s and : /or 20’s

「日本のマンガやアニメには戦前の前衛美術の遺伝子が流れている。ネオ·ポップムーヴメントは、絵画として、その遺伝子を美術に復活させることが目的だった。1990年にMoMAで見たHigh and Low展が背中を押してくれた。」太郎千恵藏

この度PARCELとparcelの両ギャラリースペースを使い、太郎千恵藏の1990年代の絵画と彫刻、そして新作を同時に展示する展覧会を開催いたします。太郎千恵藏にとって、絵画を中心とした東京での個展は実に15年振りとなります。

太郎千恵藏は、1980年代にニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・アートで学び当時のウォーホールやバスキアが活躍するニューヨークのアートシーンに遭遇、1991年に「見えない身体展」(レンパイア・ギャラリー、ニューヨーク)でデビューを飾り、Flash Art等の美術雑誌をはじめ、アンディ・ウォーホールのインタビュー誌などに全面で取り上げられます。1992年にはポスト・ヒューマン展に参加、ヨーロッパの5つの美術館を巡回し、ニューヨーク、SoHoでの個展を皮切りに国際的に作品を発表してきました。1994年からは古典絵画をバックグラウンドに、アニメや特撮のモチーフを取り入れた絵画の制作を開始、その後マンガをモチーフとしたペインティングに発展していきます。それらの作品は、ブルックリン美術館、東京都現代美術館をはじめ、国内外多数の美術館にて展示され、奈良美智、村上隆とともにネオ・ポップムーヴメントの中心人物の一人として活躍してきました。

美術評論家のジョシュア・デクターは、太郎の絵画についてこう解説しています。「単なるポストモダン理論の夢想ではなく、むしろ日常の経験の具体的な表現です。出来事、回想、動き、停滞、生物学、テクノロジー、のすべてが同時に展開しているように見えます。それはあたかも、メディア表現の風景と心の領域が、非線形のアマルガムに収束し始めているかのようです。太郎千恵藏の作品はファンタジーと現実体験がダイナミックに交差するこの奇妙な実存の状態をアレゴリーにしており、私たちの世界認識の関係性は、日常に再覚醒した夢を強要されます。太郎千恵藏にとって絵を描く行為は、テレビ言語の残存記憶と復縁するという意味をもっています。ある意味で彼は、ポップカルチャーのゴーストを絵画のなかに立ち上げることを可能にすることで自身の「内なる子供」へのアクセスを可能にしてきたのです。(太郎は)キャラクターを単なるポップなアイコンとして盗用しているのではなく、リファレンスが不安定なレイヤーになった異質の画面に現れた、シンボリックな実体として描いているのです。」 (引用:太郎千恵藏:ハイブリッドワールドの触覚の表出1999)

本展では、新作のペンギンをモチーフとした絵画と1990年代の絵画をリミックスした作品が展示されます。日本初公開となる War / Pink is color of Blood(1996)は、1996年のニューヨークのサンドラ・ゲーリングでの個展で発表、ヴァージ二アやオハイオの美術館で開催され、マイク・ケリー、ポール・マッカーシー、ジョイス・ペンサートも参加したプリズームド・イノセント展でも展示されました。ターナーの難破船という絵画を背景にし、アニメのロボットとレンジャーをサンプリングした本作は、ドローンが地上を爆撃する21世紀の戦争のリアリティを先取りした予言的な作品です。その他にも1999年のサンドラ・ゲーリングでの個展で発表され、2009年岡本太郎美術館での岡本太郎の絵画展内の特別展示「TAROVS TARO」でも展示された、Father and Son III Schiphol Airport(1999)などの90年代の太郎千恵蔵を代表する作品を組み込んだ展示構成になっています。

1990年頃、東京にいるときは村上くんや小山くんと毎日のように会って、アートワールドとマンガとアニメの話をしていた。そして1993年に、僕のケルンでの展覧会にやって来た奈良くんにも声をかけた。それがはじまりだった。」太郎千恵藏

哲学者マルクス・ガブリエルの著書である「なぜ世界は存在しないのか」では、現実の物体もユニコーンも存在し、わたしたちは実在と虚構の無数の意味の場のレイヤーを通過している存在だと言っています。太郎千恵藏はそれを20年前に絵画で表現していました。1990年代の太郎の絵画は、現在でも革新的な作品で、その革新性は新作の絵画に受け継がれています。ハリウッドのアニメーションからピングドラムまで、幾度となく表現されているペンギン。太郎が描くペンギンは、パブリックな心象風景から現れる、シンボリックなわたしたちの姿なのです。この機会にぜひ太郎千恵藏の作品世界に触れて頂けると幸いです。


展覧会にあわせて以下のトークイベントをPARCELにて開催いたします。
トークイベントは入場無料となっており、参加ご希望の方はcontact@parceltokyo.jpまでご連絡ください。ご予約がない場合でもご入場できますが、席数に限りがあるため定員を超えた場合は立見となる場合もございますので、ご了承ください。

・3月25日(土)15:00-
90’s and or 20’s=現代思想とアート、あるいはラディカルについて
千葉雅也(哲学者、立命館大学教授)x 太郎千恵藏(芸術家)

・4月2日(日)17:00-
「シュールリアリズムと太郎千恵藏の絵画」
大谷省吾(美術史家、東京国立近代美術館副館長)x太郎千恵藏(芸術家)

 

EASTEAST_TOKYO 2023

この度PARCELでは九段下・科学技術館にて開催されるアートフェア、
EASTEAST_TOKYO 2023に出展いたします。
https://easteast.org/2023/

PARCELからは
佐宗乃梨子 / 加茂昂 / 森靖  / 小畑多丘 が出展いたします。

作品や出展作家・フェアに関するお問い合わせは
contact@parceltokyo.jp までご連絡くださいませ。

(さらに…)

ねてるひとと、おきてるひと (The sleeping one, and the one that is awake)

この度PARCELではCMTK、森千裕、金氏徹平の展覧会を開催いたします。

森と金氏の二人で活動する時の名義「CMTK」のコラボレーションは、森が長年にわたって日常的に撮影を続ける路上、風景、テレビ画面などを対象とした写真と、様々な方法で収集した既存のイメージを、金氏が編集、コラージュし、物質と接続することから始まり、レンチキュラーなどの特殊な印刷、大理石やコンクリートなどへの印刷、アニメーションなどの映像、さまざまな素材を用いた彫刻作品としてアウトプットされてきました。

森の写真は瞬間的に過ぎ去ってしまう、もしくはゴミのように扱われる事物や状況が持つ美しさや光、あるいはここではないどこかへの入り口のようなものであり、金氏によって物質的にコラージュされることにより、それらは複数の視線による複数の切断と複数の接続が複雑に混在した、現実と非現実を行き来する新しいもしくはオルタナティブなイメージになります。

今回の展覧会は森の個人での新作のペインティングなどと、金氏の新作の彫刻など、さらにCMTKとしての新作で構成されます。

森個人の制作では、独自の都市観察を通して目にとまった風景やロゴマークなどに加え、子供の頃に描いた絵などを積層し、見間違い、聞き違いも積極的に取り込み、時間や記憶、もしくは価値や文脈を捉え直すように再構築し、絵画やインスタレーションなどでアウトプットします。国内外での展覧会に加え、音楽との関わりなども重視し、幅広く活動しています。

一方、金氏はプラスチック製品や玩具、建築資材、雑誌や広告の切り抜きなど、自身の身の回りにあるものを使用しコラージュ的な手法を用い、物質とイメージの関係を顕在化する造形システムの考案を探求し、彫刻を基点として、舞台美術や演劇まで表現方法は多岐にわたります。また、コラージュの概念や手法の延長として、他者とのコラボレーションも積極的に行ってきました。

ユニットやコレクティブでの活動や制作が珍しくなくなった今日において、CMTKの作品は個々の主張がぶつかり合う共作やコラボレーションとは異なります。外部の作家や他分野の方ともプロジェクトをこなしてきた両者だからこそ、連名ではなくあえてCMTKとして別人格を立て制作をする意味、可能性を示した作品を展開しています。また本展は個人としての作品との差異がわかる展覧会となりますが、森と金氏が語るように「最も身近で、すぐ隣にいる他者、異物、謎、そのような存在と共有しているものと共有できないもの、それらと向き合い作品を制作することで、現在を検証し、遠く離れた時間や場所またはそこにあるイメージや出来事を想像したり、思い出したり、反転させたりすることを試みる。例えどのような状況であっても、その状況特有の美しさがあるということを信じている。」と出自の異なる物事が重なり合うことにより生まれ、見えてくる新しい景色や視点を感じていただけると幸いです

VERDE CÓSMICO

この度 PARCEL では伊藤桂司個展「VERDE CÓSMICO」を開催いたします。伊藤は伝説的なサブカルチャー雑誌「JAM / HEAVEN」でデビューした後、広告、音楽、雑誌、書籍等幅広い分野でアートワークの提供とディレクションなどを行なうと同時に国内外多くの展示に参加してきました。その手法はビンテージ雑誌などを使 用したコラージュ、マーカー等の線で輪郭が強調されたドローイングシリーズ、そしてペインティングと多岐にわたっております。

本展では 2019 年の諸橋近代美術館開館 20 周年記念展『四次元を探しに/ダリから現在へ』に出品し好評を博し、のちに 山梨の gallery Trax でも発表したグリーントーンで描かれたペインティングシリーズの新作を発表いたします。

星空の中に浮かぶ奇妙な物体とそれが安置されている⻩緑な風景画という要素により構成されているこのシリーズに対し、伊藤は以下のステイトメントを残しています。

「幼少期から、死後の世界を思うときは、恐怖より興味が勝っていた。そのイメージは、得体のしれないものとして「夜」や「宇宙」を想起させた。

かつて、満月の夜に森の中を散歩したときの、月の光に照らされた木々が織りなす一面の緑の世界。すべてを覆い つくすグリーントーンの美しさ。タヒチ島を訪れ、夜の海岸で出会った満天の星空。宇宙の中に放り出され、まる で自分が宇宙に溶け込んでいくような感覚を覚えた。

日常のふとした瞬間、刹那の連なりのなかに、現実世界では整合性の取れない荒唐無稽な空想が突如挟みこまれることがある。どこからともなく、一枚の絵が抗いようもなく脳裏に浮上してくるのだ。

その絵は、都市生活のなかで感じる緑に対する欲求や、パースペクティブが遮断されている息苦しさから訪れる反 動から生み出されているのかもしれない。とりわけ、この数年の流行り病による閉塞感は、気持ちよく広がる緑の 空間への渇望を促進させたように思う。

近年、大切な友人との突然の別れを立て続けに経験し、これまで漠然と感じていた死の輪郭がくっきりとしてき た。同時に、一瞬で過去へと変貌をとげる「いま」という時間の儚さを改めて感じている。二度と訪れず、誰とも 分かちえないこの瞬間の意味をより強く思うようになり、日常と非日常のはざまに現れる不思議な絵を描き出し て、共有してみたくなった。馬鹿げた緑の宇宙のなかに、ささやかな安らぎを見つけてもらえたら。」

伊藤が語っているように、示されるグリーントーンのインスピレーションは 実際に体験した満月の夜や、旅先で見た星空であり、山や草原などの風景も 散歩中に出会ったもの、写真に収めた景色であったりします。また、画面内 に出現する鳥やぬいぐるみのようなモチーフ、ガラスの置物などは本人が訪 れた先々で蒐集したり、過去に制作したものなどです。そして作品に一貫し ている特徴がこのようなコラージュ的な手法です。コラージュが蒐集してき た書籍の切り抜きを用いたグラフィカルな画面構成を探求したものだとする と、グリーントーンの絵画作品は「日常と非日常のはざまに現れる不思議な 絵を描き出して、共有してみたくなった」と伊藤が語るように自身の生活に 直結したドキュメント的性質が高く、素材や出どころが違う要素を平等に描 くことでコラージュにはあるメディウムのヒエラルキーを消失させながら 「現実世界では整合性の取れない荒唐無稽な空想」を描くことを可能にして います。

一見ファンタジーに見える風景も伊藤の活動と人生を俯瞰して見ると、全てに意味があり辻褄があってくるのです。捉え 方ひとつで真実だと思われる情報が虚構として映ることが普通になってしまった今の時代だからこそ、伊藤が提示する極 私的な画面がどこか新鮮かつノスタルジックに映るのかもしれません。この機会にぜひご高覧ください。

森 靖|Osamu Mori

この度PARCELではFRIEZE SEOUL 、Asia Focusブースにて森靖の新作を発表いたします。2020年の個展以来、2度目の展示になりまして、2023年頭に予定している弊廊での個展の流れを組むシリーズの発表となります。

森の作品のモチーフはアメリカのポップアイコンから中世古典彫刻まで、非常に長い時系列の上に成り立っており、その要素を縦横無尽に行き来しながら我々に「美」などの根源的な要素や、記号論的な思い込みや意識に対して問いかけます。

今回発表されるメインの作品は、高さは人類が医学的な記録上現存する最長の記録272cmに迫ります。森いわく「人間が形を留められる範囲で、美のMAXのスケールを表現している」としていますが、それを可能としているのが作品に使用している、人間の最高齢の記録である120年に近い樹齢の木でもあります。他の作品にも共通していることではありますが、森は樹木が持つ有機的な形態に人体を彫り込み、人間の美と自然の形状が持つ強さを対抗させているのです。

さらに参考にしている古典彫刻についても森は「人体を扱った作品には古代より度々多幸感や高揚感が表現されてきた。その中でも浮遊感は、多幸感と広がりを同時に感じさせながらも、物質的な重さから離れた造形美がある。西洋の古典作品から見ると、一貫して不安定な体勢と空気を含んだ髪や衣服が演出されていて、上昇というよりも、ものが飛んだ頂点から下降する一瞬の重力のかかるタイミングを捉えている。東洋における浮遊の表現は、空気や重力の影響を受けずに、衣や周りの動きは「気」やオーラの様なもので表現されており、その様な造形からは高揚感を感じる。

この様な浮遊感は、勢いよく階段を降りる時に連続して強く感じ、降りている様も重力のかかるタイミングも古典的な浮遊表現と良く似ている。人の美を考え、表現する中で、多幸感や高揚感を現実世界のモチーフとして取り入れたいと思った。」と語ります。

「サモトラケのニケ」に見える古典彫刻の浮遊感、デュシャンが「階段を降りる裸体」で表現した連続性と無重力感に加え、現代社会における歪んだ美の象徴としてのピンナップガールなどがメイン作品の中核を構成しています。その中でもアイコンとされているマリリンモンローは、髪の脱色、ホクロ、ハイヒール等、大衆が望んだ美が垣間見れます。

「50‘sのマリリンモンローの映像を見ると確かに美しいのだが、後に俳優や芸人のするマリリンモンローのコスプレやモノマネでは、マリリンモンロー本人よりもマリリンモンローのイメージに合っているように感じることがある。その様な美しさに関するカリカチュア的な事に、美の可能性があると思う。」と森は話します。

画一的な美が存在せず、多様性が求められている時代において、森は彫刻を通して我々に対し「美」とは何で、誰に対して示すものなのかを改めて問い直すのです。

patchwork my city

この度、PARCELではアーティスト集団EVERYDAY HOLIDAY SQUAD(以下EHS)の個展を開催いたします。EHSは2015年に複数人のアーティストによって結成され、都市や公共空間を舞台とし、リサーチをベースに多彩なアプローチで作品を制作しています。特に2017年に宮城県石巻市で開催されたReborn-Art Festivalへの参加を機に、ストリートのみならず、美術館やアートセンターまで広い意味での公共空間へサイトスペシフィックな表現を広げるようになりました。

以下、EHSのステイトメントになります:


 

本展ではpatchwork my city(パッチワーク・マイシティ)というタイトルの通り、都市の断片を繋ぎ合わせることをテーマに、東京の地図をモチーフにした新作シリーズを発表します。オリンピックが終わり東京は再開発の喧騒から解放されると思いきや、開催から1年が過ぎた現在も都市の各所では巨大な工事が繰り広げられています。また、コロナ禍や国際情勢が社会に大きな影を落としても、見ぬふりをするかのように都市を巡る公権力の欲望は肥大化し続けているようです。私たちは今、自らの価値観や行動性に基づき、自らの暮らす都市環境の在り方を再定義する必要性に迫られています。本展では、都市での日常的な行動に基づき地図をパッチワーク(解体/再構築)し、現代の東京の姿を様々な角度から捉え直すことを試みます。

かつて1957年から1972年までフランスを拠点にした団体「シチュアショニスト・インターナショナル(S.I*注1)」の活動において「The Naked City」というプロジェクトがあり、これは人々の暮らしからパリをはじめとした都市の地図を再編集するという内容でした。シチュアショニスト達の活動はアーティストだけではなく、現代においても政治運動や都市計画にまで広く影響力を及ぼしています。また、1961年に結成されたイギリスの前衛建築集団アーキグラムも、テクノロジーや情報環境がもたらす建築/都市の未来をビジュアルアート、ドローイングやコラージュの手法を用いて表現していますが、彼らの表現には度々地図をコラージュした未来都市の設計図が登場します。

今回発表する地図の作品シリーズはグラフィティライターやストリートアーティストたちが都市を身体的に知覚/体感することを発端とし、その情報を地図にドローイングやコラージュを施しすことで街の姿を改変させながらギャラリーと街を横断する作品や、流通に用いられているクレートを素材に地図を立体化した彫刻作品などが展示されます。これらの作品は実用的なデータとして地図から一旦離れ、地図を自由自在に都市を眼差す・直感するメディアとして捉え、私たちに都市環境に暮らす中での新しい行動やアイデアを生み出すインスピレーションを与えてくれるのです。

–  EVERYDAY HOLIDAY SQUAD


 

EHS初のギャラリーでの個展となります。是非この機会にご高覧ください。

*注1 シチュアショニストの表現活動の主な概念は、「状況の構築」「漂流」「心理地理学」「転用」「工業絵画」「革命」などの言葉に代表される。そして、絵画、写真や絵のコラージュ、グラフィック、落書き、映画、コミックなどが表現に使われている。文字やシンボルを扱う「ハイパーグラフィー」、都市論「ユニタリー・アーバニズム」など、とりわけ運動初期に活発な活動が見られる。またシチュアショニスト・インタナショナルの機関紙に掲載されている文章は、自由に転載、翻訳などが許可され、後のフリーカルチャー、オープンカルチャーにも先駆けている。脚注出典: https://bijutsutecho.com/artwiki/110
B-BOY REVENGE 2022

この度 PARCELでは小畑多丘個展「B-BOY REVENGE 2022」を開催いたします。 小畑の大型彫刻を始め、新旧織り交ぜた作品を展示いたします。

10年前に山梨にて発表された作品「Takuspe B-Boy 2012」は小畑の原点でもあるB-BOY(ブレイクダンスをする人)カルチャーにも多大な影響を与えたキースヘリングの作品を収蔵展示している中村キースヘリング美術館で初めて発表されました。今日に至るまで小畑にとっては最大の彫刻作品であり、寝ているポーズとしては小型の物を含めると2作品目となります。当該作品はその後2013年にシンガポールでのグループ展「Tokyo Street」、そして海外のB-BOY / ヒップホップシーンから注目されるきっかけともなった2014年のJonathan LeVine Gallery(NY、チェルシー)での個展にも発表された作品になり、完成から10年という節目に再度東京で展示することになりました。本人にとっても重要な作品でもある「Takuspe B-Boy 2012」にまつわるマケット、スケッチなどの資料も同時に展示いたします。

他に、アクリル板に描かれた作品を2点展示いたします。旧作でもある1点は2017年にNikeLabとのコラボレーション(https://vimeo.com/206369902)でライブペイントされた作品です。モチーフとなるのは日頃からスケッチにも書いている「人物」と小畑自身が中高時代にダンスと同じく熱中して取り組んでいたバスケットボールです。現在発表している絵画のシリーズに通ずる即興性もありながら、より小畑のドローイングに近い構成となっているのが見受けられます。この作品と同じメディウムでの新作を同時に発表いたします。

彫刻やダンス、バスケットボール含めたその他スポーツ、身体の動きと地球との接点や重力を大切にする小畑にとって、活動全てが彫刻を制作するためであり、彫刻に活かされるためのものであると言い切ります。

近年、絵画作品も大きな注目を集めていますが、小畑多丘のルーツである彫刻、そして現在発表している絵画シリーズと彫刻の間に位置するとも言えるアクリル板の作品を通して、彫刻家小畑多丘の現在地に至るまでを知れる展覧会となります。

この機会にぜひ、ご高覧ください。

Struggle In The Safe Place

オオクボリュウは2011年頃より数々のアニメーションによるミュージックビデオを制作しその実績は広く知られていますが、近年は再び自身の表現に立ち返り、アニメーション的な連続性のある表現(シークエンシャルアート)を軸としながら、ペインティングやドローイング、ゲーム作品などの制作に取り組んでいます。

本展では、2019年頃より構想から試行錯誤を繰り返し制作された、断片的にモチーフが描かれた大作絵画、連続性を持ったモチーフが描かれた7点の連作絵画、ドローイング作品をメインに発表いたします。描かれているのはオオクボ自身のパーソナルな出来事、遠くで起こっている社会現象、家族の風景、お気に入りのモチーフなど多様ですが、一見関連のなさそうなそれぞれの風景は、均等な距離を保ちながらも溶け合うようにして接続され、1枚のキャンバスの上に同居しています。様々な現象を捉え、それらをどこか俯瞰的かつオオクボの個人的な思考によって接続させた作風は、これまでアニメーション作品を手掛けてきた作家にとって自然な表現であり、その表現において「連続性」といったテーマを掲げることは必然的であると言えます。

また、全て未発表の新作で構成された本展に際し、出展作品が収録された作品集をリリース致します。オオクボリュ ウの6年ぶりの新作個展となります。