B-BOY REVENGE 2022

この度 PARCELでは小畑多丘個展「B-BOY REVENGE 2022」を開催いたします。 小畑の大型彫刻を始め、新旧織り交ぜた作品を展示いたします。

10年前に山梨にて発表された作品「Takuspe B-Boy 2012」は小畑の原点でもあるB-BOY(ブレイクダンスをする人)カルチャーにも多大な影響を与えたキースヘリングの作品を収蔵展示している中村キースヘリング美術館で初めて発表されました。今日に至るまで小畑にとっては最大の彫刻作品であり、寝ているポーズとしては小型の物を含めると2作品目となります。当該作品はその後2013年にシンガポールでのグループ展「Tokyo Street」、そして海外のB-BOY / ヒップホップシーンから注目されるきっかけともなった2014年のJonathan LeVine Gallery(NY、チェルシー)での個展にも発表された作品になり、完成から10年という節目に再度東京で展示することになりました。本人にとっても重要な作品でもある「Takuspe B-Boy 2012」にまつわるマケット、スケッチなどの資料も同時に展示いたします。

他に、アクリル板に描かれた作品を2点展示いたします。旧作でもある1点は2017年にNikeLabとのコラボレーション(https://vimeo.com/206369902)でライブペイントされた作品です。モチーフとなるのは日頃からスケッチにも書いている「人物」と小畑自身が中高時代にダンスと同じく熱中して取り組んでいたバスケットボールです。現在発表している絵画のシリーズに通ずる即興性もありながら、より小畑のドローイングに近い構成となっているのが見受けられます。この作品と同じメディウムでの新作を同時に発表いたします。

彫刻やダンス、バスケットボール含めたその他スポーツ、身体の動きと地球との接点や重力を大切にする小畑にとって、活動全てが彫刻を制作するためであり、彫刻に活かされるためのものであると言い切ります。

近年、絵画作品も大きな注目を集めていますが、小畑多丘のルーツである彫刻、そして現在発表している絵画シリーズと彫刻の間に位置するとも言えるアクリル板の作品を通して、彫刻家小畑多丘の現在地に至るまでを知れる展覧会となります。

この機会にぜひ、ご高覧ください。

Struggle In The Safe Place

オオクボリュウは2011年頃より数々のアニメーションによるミュージックビデオを制作しその実績は広く知られていますが、近年は再び自身の表現に立ち返り、アニメーション的な連続性のある表現(シークエンシャルアート)を軸としながら、ペインティングやドローイング、ゲーム作品などの制作に取り組んでいます。

本展では、2019年頃より構想から試行錯誤を繰り返し制作された、断片的にモチーフが描かれた大作絵画、連続性を持ったモチーフが描かれた7点の連作絵画、ドローイング作品をメインに発表いたします。描かれているのはオオクボ自身のパーソナルな出来事、遠くで起こっている社会現象、家族の風景、お気に入りのモチーフなど多様ですが、一見関連のなさそうなそれぞれの風景は、均等な距離を保ちながらも溶け合うようにして接続され、1枚のキャンバスの上に同居しています。様々な現象を捉え、それらをどこか俯瞰的かつオオクボの個人的な思考によって接続させた作風は、これまでアニメーション作品を手掛けてきた作家にとって自然な表現であり、その表現において「連続性」といったテーマを掲げることは必然的であると言えます。

また、全て未発表の新作で構成された本展に際し、出展作品が収録された作品集をリリース致します。オオクボリュ ウの6年ぶりの新作個展となります。

DIEGO “MY SOCIAL LADDER”

DIEGOは路上を舞台に表現を行うグラフィティライターであり、同時にスプレーやペンキで絵画作品を制作するアーティストです。絵画作品では街の壁のようにレイヤーを重ね、予想外の形や空間を発掘するように絵画を描くことによって、街で場所を探しながらグラフィティを描く体験を表現しています。

今回発表する新作のシリーズでは脚立や木材など建築資材を思わせる構造物が複雑に絡み合う様子が描かれており、工事現場のように建築や都市構造の建造/解体の両義性が表現されています。このようなモチーフの設定の背景には、ストリートのアーティスト達は街の中で死角となっている場所を好むことから、たびたび資材置き場や建築現場が表現の舞台となることが背景にあります。また絵画作品以外にも資材置き場を模したインスタレーションや、無人の工事現場にDIEGOが介入するパフォーマンスを記録した映像作品が展示されます。

近年、オリンピックをきっかけとした巨大な再開発が都心各所で行われており、それに伴ったジェントリフィケーションによってグラフィティに対する締め付けは厳しくなっています。しかし街の中でいくら再開発を行なったところで戦後の乱雑とした都市景観が残り続けているようにグラフィティは無くなりません。かつて映画監督のクリス マルケルは映画「サンソレイユ」において「東京の街は夜になると村の集合体に戻る」と表現しましたが、現在の私達の認識においても東京は、小さな土地の上に異なる価値観を持つ無数の共同体が複雑に折り重なって街が形成されています。DIEGOにとってグラフィティとは一過性のムーブメントではなくそのような共同体の単位であり、価値観やライフスタイルを定義する精神の核です。だからこそDIEGOの作品では、コンセプトやテーマ、モチーフやスタイル、マテリアルやテクニック、あらゆる表現の部分にグラフィティの価値観が反映されており、アートの意味をグラフィティの価値観から再構築しています。一見ポップな見える作風ですが、アートとストリートカルチャーの共鳴/反発する断面を可視化することを通じ、国家と共同体、法律と個別の価値観、経済と文化、マジョリティとマイノリティなど、都市を構成する多様な価値観の摩擦を表象しているのです。

またDIEGOはSIDE COREの一員として、2021年はワタリウム美術館が開催した芸術祭「水の波紋2021」、京都府が開催する「Alternative Kyoto」など多数のアートプロジェクトに参加の他、国際芸術センター青森での個展「under pressure」を開催。またPCAF基金のプログラムにも選出されるなど、幅広い注目を集めています。ストリートの鋭利な視点から社会を眼差し、カラフルで大胆な画風で日本のストリートアートを牽引するDIEGOのPARCEL初の個展となります。


Artist’s statement
グラフィティをする時も、他の制作をしている時も、気がつけば資材置き場みたいな場所にいる。
錆びた壁に、乱雑に単管とか足場とか木材とかが建てかかっていて、人の気配が無い。
普通はそう言う場所に寂しさを感じたり、目を背けたりしたくなると思うが、自分はそういう場所に魅力を感じたり、そこに打ち捨てられた物に愛着が湧いてくる。
そういう場所や物を一言で言うならば、「都市の隙間」「あいだの時間」または「新しい始まりの予感だ」。
今回展示する作品も資材置き場がテーマとなっていて、置き去りにされている脚立とか資材がモチーフのキャラクターを描いている。ギャラリーは些か小綺麗な空間で窮屈にも感じるが、一歩建物の裏側に回ればそんな感じになっているし、馬喰町の街中で似たような場所を探すのは容易い。今回の展示ではギャラリーにいながら、そういう場所への想像力を広げたり、打ち捨てられた物が動き出すような存在感を感じたり、自分が見ている「外の魅力」を伝える機会になればいいなと考えている。
–DIEGO

Art Fair / DELTA 2021

この度PARCELでは大阪港でのアートフェア、DELTA 2021に出展いたします。

PARCELからは
BIEN / 安野谷 昌穂 / Russell Maurice / 横手太紀 / 橋本 知成 が出展いたします。

以下フェアの概要になります:
この度、DELTA Executive Committeeは、現代美術のアートフェア「DELTA 2021」を2021年11月26日(金) ‒ 28日(日)[プレビュー:25日(木)]の日程で開催いたします。
昨年8月に大阪の南堀江のギャラリー、TEZUKAYAMA GALLERYを会場に開催されたアートフェア「DELTA Experiment」。既存のアートフェアとは異なる視点を持って、ギャラリーとコレクター、アートファンを繋ぐ新しい「場」の創造を目的に発足。大阪、京都、東京の三都市から先鋭的な企画展やアーティストを発信している7軒のギャラリーが出展し、コンパクトなアートフェアながら、3日間で400人近く来場するなど、大きな話題を呼びました。
今年は会場を大阪港に位置するシーサイドスタジオCASOに移し、床面積690m2に及ぶ大空間を舞台に新進気鋭のギャラリーから日本の現代美術を牽引してきたギャラリーなど、16軒(大阪3軒、京都3軒、東京10軒)が集結。
次代のギャラリスト、ディレクター陣が独自の審美眼で選びぬいた作品が一堂に会するアートフェア「DELTA 2021」、是非ご期待下さい。
https://delta-art.net/

[ご来場について]
事前に下記より電子チケット(¥1,000)をご購入ください。
11/26(金)-11/28(日) にご入場いただけます。
時間指定(1時間毎)/事前予約制となりますのでご注意ください。
https://eplus.jp/delta/
*クレジットカード・コンビニ/ATM・ネットバンキングでお支払いいただけます。

Date :
26th(FRI) : 14:00 – 20:00
27th(SAT) : 12:00 – 19:00
28th(SUN) : 12:00 – 18:00
PREVIEW : 25th(THU) 16:00 – 19:00

Venue : sea side studio CASO
552-0022 大阪市港区海岸2-7-23
市営地下鉄中央線 大阪港駅より 徒歩 7 分(大阪駅/梅田駅から電車で 20 分)

Galleries :
DMOARTS / TEZUKAYAMA GALLERY / The Third Gallery Aya – Osaka
CANDYBAR gallery / FINCH ARTS / haku kyoto – Kyoto
EUKARYOTE / FL 田 SH / HARMAS GALLERY / Tomio Koyama Gallery / LEESAYA / LOKO GALLERY / MAKI Gallery / PARCEL / TAV GALLERY / VOILLD – Tokyo

6 Paintings From 6 Artists

PARCELでは10月16日より、6名の日本人作家によるグループ展を開催いたします。各世代を代表する作家たちによる最大級の大作を各1点ずつ、 抽象から具象までと幅広い作風の未発表 / 新作をご覧いただく機会となります。

オートモアイは 2015 年あたりからモノクロでの作品の制作を開始、2018年からはカラーも多用し、匿名性の高い“存在”が画面に佇んでいるような 作風で知られております。極めて客観的でもありながら、とてもパーソナルな情景にも見えてくるその作風は、人間同士の関係性や、作品と鑑賞者の関係性など、必要な情報が削ぎ落とされているからこそ見えてくる景色と情景を作家は提示してくれています。

1980年生まれの彫刻家、小畑多丘は自身もブレイクダンサーだというルーツを元に、B-BOYにインスピレーションを受けた一連の彫刻作品で知られております。近年では彫刻の塑像と彫像の関係性をもとにアクリル絵具を中心とした画材を用いたキャンバス作品を発表しております。絵具が敷き詰められたキャンバス作品から「削られた」質量を別のキャンバスに移動し「盛る」ことによって彫刻家としての平面作品への新しいアプローチ、身体と質量の移動など、作家として初期から向かい合っているテーマを様々なメディアに展開しております。

同じく1980年生まれの倉田裕也は現在 NY を拠点に制作活動を行っております。倉田は過去に野球がモチーフとし、それは純粋に楽しいモノとして、また競技の背景にある多くのメッセージを伝達する象徴とする作品群を過去に制作しておりました。近作は野球というキーワードから離れ、コロナ禍 で外出も移動もままならない中、もっとも身近で毎日接している存在としての家族に焦点を当てたシリーズを始めました。作家自身が実際に体験した瞬間がベースにはなっていますが、我々鑑賞者にも当てはまる日常の中に感じる些細な幸せが色鮮やかに画面に展開しております。

1993 年生まれで、現在東京を拠点にしている作家 BIEN は人が生み出した文字や記号、マンガやアニメのキャラクターなどのかたちを躍動的な線でなぞり、ストリートカルチャーやアニメーションの文化が持つ様々な表現様式を受け継ぎ、昇華しながら、記号的な意味の解体と再構築を試みています。2021年3月のPARCELでの個展ではカメラが捕らえた光(風景)の色面がパズル状に構成されたパネルの上を黒い線が縦横無尽に走り虚構と現実の 境目にある新しい抽象表現に挑んだシリーズを発表しました。

山口幸士は NY での活動を経て、2018年から東京を拠点に活動している作家です。山口自身がスケートボードに乗りながら通りがかった景色をモチーフとした油画で知られています。全体的にモヤがかかったような画面は、山口が体感したであろう疾走感が伝わってきます。曖昧に保たれているピントによって作家の行動記録とも言える絵画が既視感のある一般的な風景と重なり、どこかノスタルジックに我々の目に写るのです。

箕浦建太郎は 1978 年生まれ、現在は東京を拠点にしております。自身の心象風景として体験や経験の蓄積が擬態化し、生物的な“何か”としてキャンバス上に現れています。今日の作家の多くもそうであるように、キャラクターやアニメ、ゲームをはじめ、映画や音楽、ストリートカルチャーなど 境界線を特に意識することなく幅広いカルチャーに触れて育った箕浦自身を反映した肖像とも言えます。また画材も古典的な油彩からスプレーまで幅広く、その独特な組み合わせによって画面に深みを持たせながら、近年ではキャンバス作品のみならず陶器による立体作品も精力的に制作しており、 その表現の幅を広げております。

精力的にその活動を広げている作家 6 名によるスケールが大きい意欲作が会します。ぜひご高覧くださいませ。

4面鏡 / Quad Mirror (By myself, For myself, to myself & ourselves)

私たちは、InstagramなどのSNSを通じて、日々 数々の自撮り(selfie)を目にしています。selfie がネット上に出現し始めた当初、それらは多くの人にとって自己顕示やナルシズムなど儚い自己表現と結びついたイメージを持つものとして受け取られていました。今日では、インスタグラマーをはじめとしたあらゆる表現者達は、自分自身のselfieをより戦略的に利用し、個人と社会の関係性を作り出す道具/手段として利用しています。いつ、誰と、どこで、どのような状況で自分自身を撮影しているのか。フォロワー達もその画像の持つ些細な情報にメッセージ性を読み、自らの価値観に反映させています。また、かつてのセルフポートレート(肖像写真)は美術館やギャラリーなどの特別な空間に置かれているものでしたが、現代においては、あらゆる小さな集団(トライブ)の世界観を繋ぎ、その小さな集団がどこに向かっていくのか、その指針を示す表現としての役割を新たに持つようになったとも言えます。
本展に参加する6名の作家は、様々な国籍・バックグラウンドを持ち、自らのセルフポートレートを戦略的に、社会との接点/小さいな集団の意思疎通の為のツールとして利用しています。セルフポートレートという共通項を持ちながらも、写真・インスタレーション・3DCGアニメーションなどの彼らの多様な作品を通して、かつてのアートにおけるセルフポートレートとは異なる目的と用途を持った、SNS時代のポートレート・アートの再定義を試みる展示会となります。


4面鏡/Quad Mirror(By myself, For myself, to myself & ourselves)についての覚書

1. インフラ
朝起きてこのテキストを目にするまでにスマートフォンに触れなかった人はいるだろうか?インターネットに接続しなかった人は?SNSを開かなかった人は?
改まって言葉にするまでもなく現代の中でスマートフォンもインターネットもSNSも我々の生活を構成するインフラ、あるいはライフラインと化している。もはやこういった発明品たちが存在しなかった時代のことなど思い出すこともなく、我々はこれらの発明品に寄り添い、共存し、発明以前以後では明確に異なった社会を生きている。

2. 鏡
振り返ってみれば我々は歴史の中で様々なものを発明し、自らの生活や社会を変容させてきた。火や車輪といった原始的なものに始まり、蒸気機関や半導体など枚挙に暇がないが、こと芸術や文化において何が重要な発明であったかを考えるに鏡の発明は特筆すべきものだろう。現在も用いられているガラス鏡に近い錫アマルガムを反射材料に用いたガラス鏡は14-15世紀頃にヴェネチアで発明された。この発明がルネサンス以降の絵画に「自画像」というジャンルを生み出し、やがて、「自己」や「内省」を発達させ、自己の内面を語る小説という文学の誕生を促し、それが個人の人権意識の確立にもつながっていった(*1)。自分の顔を映す発明品が世界も自分自身をも変容させたのだ。

3. フロントカメラとSNS
鏡の発明によって自画像が発生したように、後年、カメラが発明されたのちに写真領域でも自写像というものが誕生する。感光剤を用いて媒体に映り込んだ景色を定着させる機器としてのカメラが発明されたのは19世紀前半であるが、この手法が単なる作家自身の風貌の記録ではなくある種の表現として使われるようになったのは1960年代とやや間が空いている(初期の表現としての自写像がフェミニズム・ムーヴメントやカウンター・カルチャーの表象であったことは、先ほど触れた鏡の発明による個人の人権意識確立の延長線上にあるかもしれない(*2))。さらに現代、携帯電話機の画面側に搭載されたフロントカメラによって、セルフポートレートはその大元にある鏡としての機能を再度手に入れることとなる。画面を見つめる自分をほぼ目線と同じ角度から見つめ返すことができるようになったことで、ほぼ鏡像に近いイメージがそこには映し出されるようになり、そうして現在我々が目にするような「selfie」は誕生した。

4. 分裂
ロラン・バルトは『明るい部屋』にて、肖像写真をめぐる経験を「4人の私」と表現した。すなわち「私が自分はそうであると思っている人間、私が人からそうであると思われたい人間、写真家が私はそうであると思っている人間、写真家がその技量を示すために利用する人間」である(3)。selfieにおいてもこの分裂は可能であろうか。おそらくロランバルトの提示した分裂はほとんど全て一人の行為へと還元されていく。しかしselfieはそのような閉じた自己言及の中で行われるものではなく、社会網へと放出されていくことまでその経験の中に含まれている。鏡の向こう側から無数の視線に晒されることが前提なのだ。「ソーシャルメディア集団(tribe)が美的な選択と経験を通じて自分たちを維持していく場(4)」というのがマノヴィッチの唱える「美的社会」だ。投稿数の分析などから、SNSユーザーたちがselfieを投稿することで構築される社会はすでに存在していることも明らかだ。そこで発生するselfieをめぐる経験を今回の副題であるBy myself, For myself, to myself & ourselvesと名付けている。
セルフポートレートには現在、シンディ・シャーマンから連なるアマリア・ウルマンのような自己像を社会の中で批評的に用いる伝統も当然引き継がれている。しかし、それらとは別の方向性として新たに誕生した、ハッシュタグをつけられ、AIに画像を判断され、個人と社会とをつなぐインターフェースとなり、タイムラインに流されていくセルフポートレートであるselfieと呼ばれる一連の行為、あるいは運動体について『4面鏡/Quad Mirror』は考える機会となりたい。

*1 世界をつくった6つの革命の物語/スティーブン・ジョンソン
*2 私という未知へ向かって 現代女性セルフポートレート展
*3 明るい部屋-写真についての覚書/ロラン・バルト
*4 インスタグラムと現代視覚文化論/レフ・マノヴィッチ

Text by 石毛 健太

Gardar Eide Einarsson / Kaz Oshiro

5月22日より、PARCELにて東京を中心に活動をしているノルウェー人作家のガーダー・アイダ・アイナーソン、現在LAを拠点に活動している沖縄県出身の作家大城カズの二人展を開催いたします。

1976年に生まれたアイナーソンは、ポリティカルなメッセージや音楽を含めたポップカルチャーなど幅広い領域に出発点を持ち、それらで使用される記号やシンボルを作品を構成する上での重要なファクターとして、ペインティング、インスタレーション、立体作品やコラージュなど様々な方法を使ってアウトプットする作家です。「記号」を極端に拡大、抜粋、反復、複製などをすることにより、これらのシンボルを本来の意味と文脈から巧みに切り離しながらも、複雑に絡み合っている社会情勢や権力に対して我々鑑賞者にその意味と思考することを投げかけます。

大城は立体的に組まれたキャンバスで、我々の日常に関わるようなモノを作品として制作しています。本物と見間違えるほどの精度で制作されたゴミ箱、書類ダンス、アンプなどをはじめ、壁に衝突し折れ曲がっているかのような絵画など、そのモチーフや手法は多岐に渡ります。彼の作品には、アイナーソン同様、ポップカルチャーの要素や、より本質的・社会的な要素が織り込まれており、そこには一貫して絵画そのものや美術という存在に対しての大城の問いかけと挑戦が根底にあります。代表作である日用品をモチーフとした作品をはじめ、近年では現代社会の文字通り土台に使われている素材である鉄骨をモチーフとした一連の作品も発表しています。

今回の二人展にてアイナーソンが発表するペインティングのモチーフは無くなってしまった世界貿易センタービルの展望台へのチケットであり、その周辺にはサイレンをモチーフとした新作プリント作品、大城による”鉄骨”が空間に並びます。様々な要因が絡み合いながら構成される現代において社会の一員として決められた「意味」が与えられることに慣れている我々にとって、一度立ち止まって物事を再考するきっかけを与える展示になるかと思います。6月末までの本展、ぜひご高覧くださいませ。

DUSKDAWNDUST

このたびPARCEL(馬喰町)は、island JAPAN(原宿神宮前)と同時開催で、BIEN個展「DUSKDAWNDUST」を開催いたします。PARCELとしては初となるBIENの個展となります。

BIENは、1993年東京都生まれ、ストリートカルチャーやアニメーション、フィギュアなどの表現に影響を受けた独自のドーロイングに基づく、抽象絵画やインスタレーション作品を制作してきました。人が生み出した文字や記号、マンガやアニメのキャラクターなどのかたちを躍動的な線でなぞり直し、ストリートカルチャーやアニメーションの文化が持つ様々な表現様式を受け継ぎ、昇華しながら、記号的な意味の解体と再構築を試みています。

3年ぶりとなるペインティングを中心とした本個展においては、パズル状に組まれた支持体に、カメラの捉えた光を抽象化した色面をおき、ドローイングのラインを、フィクションと現実の混在する世界を紡ぐように描いた新作を発表します。ソースとなる写真などもインスタレーションの一部として展示予定です。

また、C.C.P. ( CALM & PUNK GALLERY )のキュレーションにて、ED DAVISと共作した新作展も神宮前DOMICILEで3月26日から4月11日まで開催いたします。合わせてご高覧くださいませ。

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自粛期間中の空気が澄んだある日、近所を散歩していた。目的なく歩いていると夕暮れ時になり、西に落ちる太陽から、そこに立つすべてのものが一斉に同じ方向に影を作った。こちらに突き刺さるいくつもの影を感じながらふと思った。いつも街は光にあふれており、僕は全ての影が一斉に同じ方向を向く瞬間など久しく見ていなかった気がする。火すらなかった時代、地球には太陽という一つの光源しかなく、地球上の皆が同じ光のもと同じ世界を生きていたとするならば、あの日に見た光景は「遙か昔」に最も近い瞬間だったのかもしれない。

これまで僕は「フィクションとノンフィクション」という世界を隔てて考えてきた。しかしスマートフォンという「ひとりの光」を持ち歩いている今、世界は分かりやすく「ひとりにひとつ」のものとなり、誰もがその世界の中を生きている。そしてコロナウイルスによって世界中の先行きが見えない今、物理的にも個人は分断され、現実はフィクションを追い越し、フィクションは現実に介入してきた。世界中で更新されるインスタグラムに映る日常の風景は、映画のワンシーンの延長線上に見えてくる。今まで僕はアニメのキャラクターや文字など、記号をモチーフとしてドローイング作品を制作してきた。しかしフィクションと現実が混在しているのならば、表象的イメージをドローイングをすることは、空想の世界を形作るだけではなく、フィクションと現実の境界を壊し、線を引いていることに等しいのかもしれない。飛蚊症によって眼球に映り込む線のように、逆光の中に立ち込めた埃のように、太陽の光、スマートフォンの光、分断されたそれぞれの物語を繋げるようにドローイングをしていく。」 – BIEN

Ba de ya

今回PARCEL では彫刻家、森靖の個展「Ba de ya」を2020年9月26日より11 月 8 日まで開催いたします。PARCELでは初となります彫刻の展覧会です。本展に際して、自身も作家であり、同校出身のSIDE COREの松下氏が以下の文章を寄せくださいました。

気が滅入る程彫り込まれたディティール、荒々しい寄木とひび割れ、そして艶かしく露出する木の節やノミ跡。森の作り出す木彫作品は、まさに 彫刻が持てる空間的な存在感を拡張し尽くしたような、重厚感に溢れる表現です。造形の写実的表現においては仏師や宮大工の卓越した技巧性を感じさせますが、木のウネリやヒビ割れを意図的に利用する造形は、素材そのものの美を生かした全く異なる表現です。森の彫刻にはこの2つの相対する自然(描写 / 素材)が鬩ぎ合っています。またずっしりとした木の質感を生かした表現も特徴で、身体の形に彫り込まれていてもなお、 木が根を張って大地に立っていた頃のような重力を感じさせます。近現代の彫刻史の中でもこれほど木を彫りこめる彫刻家は数少ない、歴代の彫 刻家達にそう言わしめる程森は卓越した彫刻家です。

森靖は 1983 年に愛知県に生まれ、2009 年に東京藝術大学大学院の彫刻専攻を修了しました。学生時代から脚光を浴びていた森は、2010 年山本現代で初個展「Can’t Help Falling in Love」を開催し、大きな波紋を呼びます。そして翌年には横浜トリエンナーレ「OUR MAGIC HOUR ー世界は どこまで知ることができるか?ー」に出品するなど若くして目まぐるしい活躍を見せました。しかしその後、森は作品発表を止め、一つの巨大な 彫刻作品の制作に取り掛かります。その巨大彫刻とは人体の木彫作品としては類を見ない、4m に達するエルビス・プレスリーをモチーフとした 作品です。今回の展覧会はこの彫刻完成後初のお披露目となる、10 年ぶりの個展となります。

この巨大なエルビスプレスリー像は雌雄同体の姿をしており、ずっしりとした姿形や右手をあげる仕草は明らかに大仏を連想させ、また荒々しい寄木は今にも崩れ落ちる岩山のようです。非常にキャッチーなロックスターの人体彫刻でありながら、今にも崩れ落ちそうな荒々しさ、そして大仏を思わせるその精巧な造形が神聖さと危うさを同時に醸し出しています。このような作風の背景には、彫刻造形の限界に挑む意識の表れであると共に、この彫刻に森が取り掛かり始めた 2011年の東日本大震災との関連性を思い起こさせます。

日本で最初に作られた大仏は奈良の大仏とされていますが、その建造に背景には仏教を広げるという目的と共に、その時代に起こった様々な厄災を払うことがありました。また上野には顔大仏と呼ばれる顔面部だけがレリーフで残された大仏がありますが、これは関東大震災によって破損した後、胴体は戦時の金属供出によって失われたという逸話があります。本作も偶然か意図的か、最初は顔だけの作品として彫られ、後に胴体を足していくことで完成した作品と森は語ります。 コロナ禍の状況を踏まえ、現代の社会の混乱に対して、大仏を想起させる本作は嫌が応にも象徴的な意味を持ちます。震災から9年との時が経ち、 そして世界的に彫刻が引き倒されている現代において、彫刻の創造と破壊が混沌と混じり合う森の彫刻こそ「今見るべき」表現なのではないでしょ うか。

– 松下徹(SIDE CORE)

本邦初公開となります、大型彫刻作品を始め、未発表新作など、現代彫刻における若手最高峰と評される森の技術と表現をぜひご高覧いただけますと幸いです。

UNDER THE BRIDGE

PARCEL JUNCTION Vol : 01

PARCEL JUNCTION はギャラリーや周辺施設に若手アーティストが滞在制作を行い、短期の展覧会を開催するプログラムの名称です。第1回目となる今回は、これまで多くのアーティストをコンテンポラリーアートシーンに紹介し続けてきたSIDE COREが選出した、アーティスト”KINJO”の作品を発表します。

KINJOはペインティングやスケートボードをするアーティストです。KINJOのペインティングのモチーフは「暗闇に光る目」「色とりどりの毒蛇」など、カウンターカルチャーに多く用いられる怪しげな記号です。しかしこれらの刺激的なモチーフは描いては消したりという往復の作業の中で、アウトラインや色面が薄ぼけて曖昧で、なおかつ愛嬌のある姿に変化していきます。このような制作は、抽象表現主義末期から登場したキャラクター抽象絵画の文脈に接続されて考えられますが、KINJOの場合は記号やキャラクターが自身のポートレートのように「個人的な存在」に変容していくのが特徴です。それは足立区の荒川の橋の下で暮らし、橋の下にアトリエがあり、橋の下でスケートボードをして暮らしている

KINJOの「半都市・半郊外」的な視点が、カウンターカルチャーのエッジーな概念を「緩やかな視点」で解体し、荒川の河川敷の風景に溶け込ませているのです。情報環境が緊張感を煽り、圧力あるイメージや言説が氾濫する現代において、KINJOの表現は「積み上げられた問題を、自分の地点からリラックスして見直す」一つの視点を提示してくれます。是非ともご高覧ください。

また、展覧会のビジュアルは全て写真家の濱田晋が撮り下ろしており、展覧会では濱田が制作したKINJOのZINEが30部限定で販売されます。

Instagram:
KINJO @knjstupi
PARCEL @parceltokyo
濱田晋 @shinhamadastudio