私たちは、InstagramなどのSNSを通じて、日々 数々の自撮り(selfie)を目にしています。selfie がネット上に出現し始めた当初、それらは多くの人にとって自己顕示やナルシズムなど儚い自己表現と結びついたイメージを持つものとして受け取られていました。今日では、インスタグラマーをはじめとしたあらゆる表現者達は、自分自身のselfieをより戦略的に利用し、個人と社会の関係性を作り出す道具/手段として利用しています。いつ、誰と、どこで、どのような状況で自分自身を撮影しているのか。フォロワー達もその画像の持つ些細な情報にメッセージ性を読み、自らの価値観に反映させています。また、かつてのセルフポートレート(肖像写真)は美術館やギャラリーなどの特別な空間に置かれているものでしたが、現代においては、あらゆる小さな集団(トライブ)の世界観を繋ぎ、その小さな集団がどこに向かっていくのか、その指針を示す表現としての役割を新たに持つようになったとも言えます。
本展に参加する6名の作家は、様々な国籍・バックグラウンドを持ち、自らのセルフポートレートを戦略的に、社会との接点/小さいな集団の意思疎通の為のツールとして利用しています。セルフポートレートという共通項を持ちながらも、写真・インスタレーション・3DCGアニメーションなどの彼らの多様な作品を通して、かつてのアートにおけるセルフポートレートとは異なる目的と用途を持った、SNS時代のポートレート・アートの再定義を試みる展示会となります。
4面鏡/Quad Mirror(By myself, For myself, to myself & ourselves)についての覚書
1. インフラ
朝起きてこのテキストを目にするまでにスマートフォンに触れなかった人はいるだろうか?インターネットに接続しなかった人は?SNSを開かなかった人は?
改まって言葉にするまでもなく現代の中でスマートフォンもインターネットもSNSも我々の生活を構成するインフラ、あるいはライフラインと化している。もはやこういった発明品たちが存在しなかった時代のことなど思い出すこともなく、我々はこれらの発明品に寄り添い、共存し、発明以前以後では明確に異なった社会を生きている。
2. 鏡
振り返ってみれば我々は歴史の中で様々なものを発明し、自らの生活や社会を変容させてきた。火や車輪といった原始的なものに始まり、蒸気機関や半導体など枚挙に暇がないが、こと芸術や文化において何が重要な発明であったかを考えるに鏡の発明は特筆すべきものだろう。現在も用いられているガラス鏡に近い錫アマルガムを反射材料に用いたガラス鏡は14-15世紀頃にヴェネチアで発明された。この発明がルネサンス以降の絵画に「自画像」というジャンルを生み出し、やがて、「自己」や「内省」を発達させ、自己の内面を語る小説という文学の誕生を促し、それが個人の人権意識の確立にもつながっていった(*1)。自分の顔を映す発明品が世界も自分自身をも変容させたのだ。
3. フロントカメラとSNS
鏡の発明によって自画像が発生したように、後年、カメラが発明されたのちに写真領域でも自写像というものが誕生する。感光剤を用いて媒体に映り込んだ景色を定着させる機器としてのカメラが発明されたのは19世紀前半であるが、この手法が単なる作家自身の風貌の記録ではなくある種の表現として使われるようになったのは1960年代とやや間が空いている(初期の表現としての自写像がフェミニズム・ムーヴメントやカウンター・カルチャーの表象であったことは、先ほど触れた鏡の発明による個人の人権意識確立の延長線上にあるかもしれない(*2))。さらに現代、携帯電話機の画面側に搭載されたフロントカメラによって、セルフポートレートはその大元にある鏡としての機能を再度手に入れることとなる。画面を見つめる自分をほぼ目線と同じ角度から見つめ返すことができるようになったことで、ほぼ鏡像に近いイメージがそこには映し出されるようになり、そうして現在我々が目にするような「selfie」は誕生した。
4. 分裂
ロラン・バルトは『明るい部屋』にて、肖像写真をめぐる経験を「4人の私」と表現した。すなわち「私が自分はそうであると思っている人間、私が人からそうであると思われたい人間、写真家が私はそうであると思っている人間、写真家がその技量を示すために利用する人間」である(3)。selfieにおいてもこの分裂は可能であろうか。おそらくロランバルトの提示した分裂はほとんど全て一人の行為へと還元されていく。しかしselfieはそのような閉じた自己言及の中で行われるものではなく、社会網へと放出されていくことまでその経験の中に含まれている。鏡の向こう側から無数の視線に晒されることが前提なのだ。「ソーシャルメディア集団(tribe)が美的な選択と経験を通じて自分たちを維持していく場(4)」というのがマノヴィッチの唱える「美的社会」だ。投稿数の分析などから、SNSユーザーたちがselfieを投稿することで構築される社会はすでに存在していることも明らかだ。そこで発生するselfieをめぐる経験を今回の副題であるBy myself, For myself, to myself & ourselvesと名付けている。
セルフポートレートには現在、シンディ・シャーマンから連なるアマリア・ウルマンのような自己像を社会の中で批評的に用いる伝統も当然引き継がれている。しかし、それらとは別の方向性として新たに誕生した、ハッシュタグをつけられ、AIに画像を判断され、個人と社会とをつなぐインターフェースとなり、タイムラインに流されていくセルフポートレートであるselfieと呼ばれる一連の行為、あるいは運動体について『4面鏡/Quad Mirror』は考える機会となりたい。
*1 世界をつくった6つの革命の物語/スティーブン・ジョンソン
*2 私という未知へ向かって 現代女性セルフポートレート展
*3 明るい部屋-写真についての覚書/ロラン・バルト
*4 インスタグラムと現代視覚文化論/レフ・マノヴィッチ
Text by 石毛 健太
Gardar Eide Einarsson / Kaz Oshiro5月22日より、PARCELにて東京を中心に活動をしているノルウェー人作家のガーダー・アイダ・アイナーソン、現在LAを拠点に活動している沖縄県出身の作家大城カズの二人展を開催いたします。
1976年に生まれたアイナーソンは、ポリティカルなメッセージや音楽を含めたポップカルチャーなど幅広い領域に出発点を持ち、それらで使用される記号やシンボルを作品を構成する上での重要なファクターとして、ペインティング、インスタレーション、立体作品やコラージュなど様々な方法を使ってアウトプットする作家です。「記号」を極端に拡大、抜粋、反復、複製などをすることにより、これらのシンボルを本来の意味と文脈から巧みに切り離しながらも、複雑に絡み合っている社会情勢や権力に対して我々鑑賞者にその意味と思考することを投げかけます。
大城は立体的に組まれたキャンバスで、我々の日常に関わるようなモノを作品として制作しています。本物と見間違えるほどの精度で制作されたゴミ箱、書類ダンス、アンプなどをはじめ、壁に衝突し折れ曲がっているかのような絵画など、そのモチーフや手法は多岐に渡ります。彼の作品には、アイナーソン同様、ポップカルチャーの要素や、より本質的・社会的な要素が織り込まれており、そこには一貫して絵画そのものや美術という存在に対しての大城の問いかけと挑戦が根底にあります。代表作である日用品をモチーフとした作品をはじめ、近年では現代社会の文字通り土台に使われている素材である鉄骨をモチーフとした一連の作品も発表しています。
今回の二人展にてアイナーソンが発表するペインティングのモチーフは無くなってしまった世界貿易センタービルの展望台へのチケットであり、その周辺にはサイレンをモチーフとした新作プリント作品、大城による”鉄骨”が空間に並びます。様々な要因が絡み合いながら構成される現代において社会の一員として決められた「意味」が与えられることに慣れている我々にとって、一度立ち止まって物事を再考するきっかけを与える展示になるかと思います。6月末までの本展、ぜひご高覧くださいませ。
このたびPARCEL(馬喰町)は、island JAPAN(原宿神宮前)と同時開催で、BIEN個展「DUSKDAWNDUST」を開催いたします。PARCELとしては初となるBIENの個展となります。
BIENは、1993年東京都生まれ、ストリートカルチャーやアニメーション、フィギュアなどの表現に影響を受けた独自のドーロイングに基づく、抽象絵画やインスタレーション作品を制作してきました。人が生み出した文字や記号、マンガやアニメのキャラクターなどのかたちを躍動的な線でなぞり直し、ストリートカルチャーやアニメーションの文化が持つ様々な表現様式を受け継ぎ、昇華しながら、記号的な意味の解体と再構築を試みています。
3年ぶりとなるペインティングを中心とした本個展においては、パズル状に組まれた支持体に、カメラの捉えた光を抽象化した色面をおき、ドローイングのラインを、フィクションと現実の混在する世界を紡ぐように描いた新作を発表します。ソースとなる写真などもインスタレーションの一部として展示予定です。
また、C.C.P. ( CALM & PUNK GALLERY )のキュレーションにて、ED DAVISと共作した新作展も神宮前DOMICILEで3月26日から4月11日まで開催いたします。合わせてご高覧くださいませ。
——————————
「自粛期間中の空気が澄んだある日、近所を散歩していた。目的なく歩いていると夕暮れ時になり、西に落ちる太陽から、そこに立つすべてのものが一斉に同じ方向に影を作った。こちらに突き刺さるいくつもの影を感じながらふと思った。いつも街は光にあふれており、僕は全ての影が一斉に同じ方向を向く瞬間など久しく見ていなかった気がする。火すらなかった時代、地球には太陽という一つの光源しかなく、地球上の皆が同じ光のもと同じ世界を生きていたとするならば、あの日に見た光景は「遙か昔」に最も近い瞬間だったのかもしれない。」
「これまで僕は「フィクションとノンフィクション」という世界を隔てて考えてきた。しかしスマートフォンという「ひとりの光」を持ち歩いている今、世界は分かりやすく「ひとりにひとつ」のものとなり、誰もがその世界の中を生きている。そしてコロナウイルスによって世界中の先行きが見えない今、物理的にも個人は分断され、現実はフィクションを追い越し、フィクションは現実に介入してきた。世界中で更新されるインスタグラムに映る日常の風景は、映画のワンシーンの延長線上に見えてくる。今まで僕はアニメのキャラクターや文字など、記号をモチーフとしてドローイング作品を制作してきた。しかしフィクションと現実が混在しているのならば、表象的イメージをドローイングをすることは、空想の世界を形作るだけではなく、フィクションと現実の境界を壊し、線を引いていることに等しいのかもしれない。飛蚊症によって眼球に映り込む線のように、逆光の中に立ち込めた埃のように、太陽の光、スマートフォンの光、分断されたそれぞれの物語を繋げるようにドローイングをしていく。」 – BIEN

今回PARCEL では彫刻家、森靖の個展「Ba de ya」を2020年9月26日より11 月 8 日まで開催いたします。PARCELでは初となります彫刻の展覧会です。本展に際して、自身も作家であり、同校出身のSIDE COREの松下氏が以下の文章を寄せくださいました。
気が滅入る程彫り込まれたディティール、荒々しい寄木とひび割れ、そして艶かしく露出する木の節やノミ跡。森の作り出す木彫作品は、まさに 彫刻が持てる空間的な存在感を拡張し尽くしたような、重厚感に溢れる表現です。造形の写実的表現においては仏師や宮大工の卓越した技巧性を感じさせますが、木のウネリやヒビ割れを意図的に利用する造形は、素材そのものの美を生かした全く異なる表現です。森の彫刻にはこの2つの相対する自然(描写 / 素材)が鬩ぎ合っています。またずっしりとした木の質感を生かした表現も特徴で、身体の形に彫り込まれていてもなお、 木が根を張って大地に立っていた頃のような重力を感じさせます。近現代の彫刻史の中でもこれほど木を彫りこめる彫刻家は数少ない、歴代の彫 刻家達にそう言わしめる程森は卓越した彫刻家です。
森靖は 1983 年に愛知県に生まれ、2009 年に東京藝術大学大学院の彫刻専攻を修了しました。学生時代から脚光を浴びていた森は、2010 年山本現代で初個展「Can’t Help Falling in Love」を開催し、大きな波紋を呼びます。そして翌年には横浜トリエンナーレ「OUR MAGIC HOUR ー世界は どこまで知ることができるか?ー」に出品するなど若くして目まぐるしい活躍を見せました。しかしその後、森は作品発表を止め、一つの巨大な 彫刻作品の制作に取り掛かります。その巨大彫刻とは人体の木彫作品としては類を見ない、4m に達するエルビス・プレスリーをモチーフとした 作品です。今回の展覧会はこの彫刻完成後初のお披露目となる、10 年ぶりの個展となります。
この巨大なエルビスプレスリー像は雌雄同体の姿をしており、ずっしりとした姿形や右手をあげる仕草は明らかに大仏を連想させ、また荒々しい寄木は今にも崩れ落ちる岩山のようです。非常にキャッチーなロックスターの人体彫刻でありながら、今にも崩れ落ちそうな荒々しさ、そして大仏を思わせるその精巧な造形が神聖さと危うさを同時に醸し出しています。このような作風の背景には、彫刻造形の限界に挑む意識の表れであると共に、この彫刻に森が取り掛かり始めた 2011年の東日本大震災との関連性を思い起こさせます。
日本で最初に作られた大仏は奈良の大仏とされていますが、その建造に背景には仏教を広げるという目的と共に、その時代に起こった様々な厄災を払うことがありました。また上野には顔大仏と呼ばれる顔面部だけがレリーフで残された大仏がありますが、これは関東大震災によって破損した後、胴体は戦時の金属供出によって失われたという逸話があります。本作も偶然か意図的か、最初は顔だけの作品として彫られ、後に胴体を足していくことで完成した作品と森は語ります。 コロナ禍の状況を踏まえ、現代の社会の混乱に対して、大仏を想起させる本作は嫌が応にも象徴的な意味を持ちます。震災から9年との時が経ち、 そして世界的に彫刻が引き倒されている現代において、彫刻の創造と破壊が混沌と混じり合う森の彫刻こそ「今見るべき」表現なのではないでしょ うか。
– 松下徹(SIDE CORE)
本邦初公開となります、大型彫刻作品を始め、未発表新作など、現代彫刻における若手最高峰と評される森の技術と表現をぜひご高覧いただけますと幸いです。
PARCEL JUNCTION Vol : 01
PARCEL JUNCTION はギャラリーや周辺施設に若手アーティストが滞在制作を行い、短期の展覧会を開催するプログラムの名称です。第1回目となる今回は、これまで多くのアーティストをコンテンポラリーアートシーンに紹介し続けてきたSIDE COREが選出した、アーティスト”KINJO”の作品を発表します。
KINJOはペインティングやスケートボードをするアーティストです。KINJOのペインティングのモチーフは「暗闇に光る目」「色とりどりの毒蛇」など、カウンターカルチャーに多く用いられる怪しげな記号です。しかしこれらの刺激的なモチーフは描いては消したりという往復の作業の中で、アウトラインや色面が薄ぼけて曖昧で、なおかつ愛嬌のある姿に変化していきます。このような制作は、抽象表現主義末期から登場したキャラクター抽象絵画の文脈に接続されて考えられますが、KINJOの場合は記号やキャラクターが自身のポートレートのように「個人的な存在」に変容していくのが特徴です。それは足立区の荒川の橋の下で暮らし、橋の下にアトリエがあり、橋の下でスケートボードをして暮らしている
KINJOの「半都市・半郊外」的な視点が、カウンターカルチャーのエッジーな概念を「緩やかな視点」で解体し、荒川の河川敷の風景に溶け込ませているのです。情報環境が緊張感を煽り、圧力あるイメージや言説が氾濫する現代において、KINJOの表現は「積み上げられた問題を、自分の地点からリラックスして見直す」一つの視点を提示してくれます。是非ともご高覧ください。
また、展覧会のビジュアルは全て写真家の濱田晋が撮り下ろしており、展覧会では濱田が制作したKINJOのZINEが30部限定で販売されます。
Instagram:
KINJO @knjstupi
PARCEL @parceltokyo
濱田晋 @shinhamadastudio
この度 PARCEL では小畑多丘個展「LET’S MOVE IT」を開催いたします。1990 年に発表された Special Ed による曲「Come on Let’s Move It」から引用したこのタイトルは小畑の新作に見られる身体性を反映したものになります。 本展では新作のキャンバス作品を中心に展示いたします。
彫刻家である小畑は日頃より彫刻のためのスケッチを多量に残しています。それが進化、派生をしたアプローチでドローイングやプリン ト、キャンバス作品として今年の 6 月から 7 月にかけて AKIO NAGASWAGA ギャラリーで展覧会を行いました。
2020 年 3 月より PARCEL で滞在制作をしながら制作されたこれら一連のドローイングやキャンバス作品に見られる反復した線の描き方は、 ブレイクダンサーでもある小畑のルーツに呼応しながら画面上をコリオグラフの指南書のようにリズムを刻み、絵の具の乾き、量、スピー ド感など自身に制作における制限を自らに課した上で挑んだ成果でもあります。
キャンバスという課題に対し小畑は当初ドローイングから拡張された作品群を完成、先の展覧会で発表してきました。そこからさらに実 験を繰り返す中で彼は彫刻家としての再アプローチを試み、本展で発表するする新シリーズにつながります。それらは先述のリズミカル な要素と軽快感は保ちつつも、彫刻家としての彫る(削る)という行為を大小様々なスキージーやスクレーパーを駆使しながら平面に落 とし込んだものになりました。厚塗りされた絵の具をカービングの要領で削り取り、マチエールを掻き分けながら露わになった下地で図 像を描いて制作されたこれら一連の作品は平面作品に対して、彫刻家として小畑の一つの到達点と言えます。
さらには削り取った絵具をモデリングの要領で同サイズの別キャンバスに擦り付けながら転用し、削る行為から産み出された作品をネガ ティブとするのならば質量の移設とダイナミックな身体の移動によって、意図的な副産物としてのポジティブである対の作品を一連の動 作で描いた作品も展示いたします。”LET’S MOVE IT” というタイトルからもわかるように、小畑にとって彫刻はもとより、絵画に対しても 同じ身体表現として捉え直しており、描いているのです。
彫刻家小畑が挑んだキャンバス作品、ぜひご高覧くださいませ。
この度PARCELでは馬喰町で行わる新型アートフェア、EASTEAST_Tokyoに出展いたします。
以下フェアの概要になります:
2020年6月、新時代のアートフェア「EASTEAST_」が始動。第一回として、2020年6月26日(金)~28日(日)に馬喰町・ログズビルにて、6 月 25 日 ( 木 )~7 月 5 日 ( 日 ) に特設サイトと OIL by 美術手帖にて、オンラインと現実空間を同時進行し「EASTEAST_Tokyo」を開催いたします。
2020 年 3 月にアートフェア東京と同時開催を予定しておりましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け時期を変更いたしました。延期にあたり、現在の状況下におけるアートやギャラリーの存在意義を模索し、アートフェアのあり方を再定義する新たな開催方式に挑戦いたします。東東京に位置する馬喰町・ログズビルを会場にリアルな展示の場を公開すると同時に、3Dスキャンによるオンラインビューイングを開催。遠方からの参加、鑑賞を可能とする他、オンラインでのみ参加可能なコンテンツを用意することで、オンラインと現実空間の双方向でアートを体感する発信を行います。また、メディアパートナーである美術手帖が運営する EC サイト「OIL by 美術手帖」の協力により、旧来の購入方法に加え、オンラインでの作品販売も並行して行います。
アート作品を所有することを「知る」「関わる」「動かす」ことに繋げながら、カルチャーとアートを横断する魅惑的なプログラムをもった国内7ギャラリーが参加し、ネットワークを構築するためのプラットフォームとなることを目指します。「EASTEAST_Tokyo」として東京発の価値観を東京の東側から伝える第一弾を開催し、今後は世界の他都市での展開を念頭に活動してまいります。オンラインと現実空間で同時進行する新時代のアートフェアにご期待ください。
2020.06.25 (THU) – 07.05 (SUN)
REAL : 06.26 (FRI) – 06.28 (SUN) 13:00 – 18:00 *Last day -17:00
会場 REAL : 東京都中央区日本橋横山町 7-14 ログズビル*JR 馬喰町駅より徒歩 1 分 / 都営新宿線 馬喰横山駅より徒歩 3 分 / 都営浅草線 東日本橋駅より徒歩 3 分
ONLINE : 06.25 (THU) 13:00 – 07.05 (SUN) 23:00
ONLINE EVENTS: 06.26 (FRI), 27 (SAT) 19:00 – 22:00 / 06.28 (SUN) 18:00-21:00
ONLINE : http://www.easteast.org
EC : https://oil.bijutsutecho.com
この度PARCEL では2020 年1 回目の企画として箕浦建太郎の個展「き」を開催いたします。
1978 年静岡県に生まれ、幼少期から浅草で育った箕浦は今日まで東京を拠点とし、画業の傍これまで銀杏BOYZ のCD ジャケットのデザインや写真家川島小鳥氏との共著など、幅広い活動で知られてきました。
幼い頃より途切れることなく絵をかき続け、その過程で多様性を受け入れ流してきた結果、箕浦が現在描くものは自身の経験の蓄積が精査され削ぎ落とされても捨てるに捨てられない要素が擬態化し、生物的な何かとしてキャンバス上に現れています。それは今日の作家の多くもそうであるように、キャラクターやアニメ、ゲームをはじめ、映画や音楽、ストリートカルチャーなど境界線を特に意識することなく幅広いカルチャーに触れて育った箕浦自身を反映した肖像とも言えます。
古典技法からスプレーなどの現代的な身近な画材を使用し続けることにより育まれてきた多彩な色の積層や鋭利で曖昧な表情は、肉眼で絵画を見ることを改めて私たちに問いているようです。
特定不能な画面上の空間に放置されている存在たちは、過去の蓄積や忘れ去られたカルチャーを示しているかのように、または社会システムの中で埋もれもがいて消えかけている人々かのように、発見される未来を待ち望む哀愁に満ちた表情を我々に投げかけるのです。
PARCEL としては初めてとなります箕浦建太郎の個展、ぜひご高覧ください。
A New Career In A New Townこの度PARCEL では角田純の個展「A New Career In A New Town」を開催します。
1980 年代からデザイナー/ アートディレクターとしての活躍を広く知られている角田ですが、その裏では30年以上に渡って絵画を制作し続けてきました。彼の絵画は淡い色面や繊細なラインが特徴で、象徴表現でありながら光や音を感じさせます。作品からは一見素朴な印象を受けますが、同時にカウンタカルチャー特有の軽快さや、幻覚作用がもたらす視覚効果を感じさせます。切り詰められた表現の中に多様な文化様式や視覚的実験が反映されていることこそが角田の作品の魅力なのです。また同時に山梨県北杜市にある” Gallery TRAX”のディレクターとして、国際的に活躍する多くのアーティストを輩出してきたことで知られている他、作家との一点物の衣服を発表し続けたファッションブランド” Poetry of Sex” のディレクターとして、カウンターカルチャーのアートとファッションの融合を開拓したパイオニアの一人としてでもあるのです。今回の展覧会では角田の新作絵画の発表を中心としながら、作家の制作背景にある収集物や資料、また過去の創作物などを構成しスタジオ空間を模したインスタレーションを展示します。
2012 年に川村記念美術館で開催された「抽象と形態」において、角田の作品はジョルジョ・モランディの静物画と対比されて展示されました。モランディの作品は一見静かな静物画でありながら、配色のバランスによって色面ごとの境界線に揺らめきを表現しています。角田の作品もまた色面構成されたバックグランドに細かく描かれるドッドや線描が、画面の中に揺れるような動きを感じさせます。「静によって動を生み出す」表現に2 人の共通性を見出すことができますが、角田はこのような表現の成り立ちには瞑想や幻覚体験(ハルシネーション)の影響を指摘します。普段より色が鮮明に感じられ、光や物の輪郭が渦を巻いて動いて見える視覚体験を角田は絵画の描写や配色に反映しているのです。同時にグラフィティや書道に造詣が深い角田の揺れるような描線はそれら「文字を追求していく文化」が影響しています。つまりサイケデリックアート(幻覚美術)からグラフィティや書道まで、多様なアウトサイダーアートの表現様式を検証し、独自に編集していくことで彼の作品は作られていくのです。このような角田の「超感覚や反知性主義」的表現はスピリチュアリズムに明らかな類似性があり、シュタイナーのドローイングを始め、2018 年にグッゲンハイム美術館で個展が開催されたヒルマ・クリントの作風にも近しい印象を受けます。実際に角田はスピリチュアリズムに傾倒した90 年代に、山梨県に拠点を移した過去があります。
今回の展覧会では作家を招いたトークを開催するほか、過去の資料までを展示することで、過去のデザイナーとして仕事やGallery TRAX での活動。また現在の作品制作に至るまでのスピリチュアリズムに関する見解など、角田の作品の背景にある出来事を広く検証する機会となります。是非ともご高覧ください。
space|aspecこの度、PARCEL では小牟田悠介個展「space | aspec」を開催いたします。
シンメトリーに展開する幾何学模様、色と形のバランスの絶妙な配色、そしてグラデーションや掠れが作り出す微妙なニュアンス。シンプルな色面構成でありながら、小牟田は高度に計算された構図と配色が絵画の中に多様な空間と動きを生み出します。また、下地を磨き上げられたキャンバスに、ハードエッジに塗り分けされた塗装。本来は冷たさや平たさを感じさせるような仕上がりな筈が、光の温度や空気を感じさせます。小牟田の絵画はミニマムかつソリッドな表現の中に、絵画の持つ空間表現の多様性を見ることができるのです。
小牟田の代表的な作品群は、折り紙で作られた飛行機や鶴、その折り線の展開図を元に幾何学模様の絵画を描いたシリーズです。折り紙とは、紙/ 平面をアルゴリズムに沿って変形させていくことで、平面を立体的な造形としての「状態」に至らせる行為です。例えば鶴を折ったとし、その構造がいかに強度であれど、展開さえしてしまえば元の平面に戻ります。つまり折り紙における造形とは「作ること/ 元に戻すこと」の行為と「2次元と3次元」の中間に置かれている状態であり、造形性を定義しているのはメディウムではなく折り方のアルゴリズムです。
小牟田の作品はアルゴリズムの導き出した運動の痕跡である「折り線」を色彩の塗り分けによってなぞり、幾何学模様を生み出していくことです。塗り目はシンメトリー図形として展開し、光がプリズムに分散していくように規則的な色彩空間が展開します。しかし小牟田の絵画は単にジオメトリックなパターンが平面上に展開されるだけではなく、パターンの連続の中に、幻想的な空間が浮かび上がるところに特徴があります。その空間とは、まるで光に包まれた教会のようでもあり、また水晶洞窟の内部のような、光が溢れ踊る空間です。2次元と3次元を自在に変容する折り紙、その展開図から導き出された小牟田の抽象絵画は、絵画でのみ可視化することができる光溢れる場所に私達を誘います。また今回は、小牟田が近年制作しているシリーズ、鏡面ステンレス板に折り紙の展開図を刻印する作品も発表する予定です。同シリーズは2014 年~2017 年瀬戸内国際芸術祭にて犬島で展示された他、2016 年~ 上越新幹線の特別車両「現美新幹線」においても展示されています。また小牟田は2013 年にSCAI THE BATHHOUSE にて個展「Color Unfolds」を開催の他、同ギャラリーより世界各国のアートフェアにも出品しており、国際的な活躍を期待されるアーティストです。
今回PARCEL が小牟田の個展を開催するにあたり「具体的に話す、抽象絵画」を題材に、小牟田と同世代の抽象絵画を製作するアーティスト達とのトークセッションをおこないます。マーケットが先行してしまう故に、絵画に関する批評空間の存在意義が失われつつある現代のアートシーンにおいて、現在の絵画が置かれている状況を確認する為に「絵画作品の解説・検証」の場を持ちたいと考えております。曖昧さや雰囲気に誤魔化されない小牟田の絵画だからこそ、展覧会と合わせてこのようなトークセッションは貴重な機会となることでしょう。是非ともご高覧いただけますと幸いです。
COMIC ABSTRACTION BY WRITERS
この度、6月に新しくオープンするギャラリー「PARCEL」のこけら落としとして「COMIC ABSTRACTION BY WRITERS」と題したグループ展を開催いたします。
この「COMIC ABSTRACTION BY WRITERS」というタイトルは2007年にMoMAで開催された「Comic Abstraction」という展覧会に由来します。同展はポップアートの文脈からコミック表現を脱却させ、インターネット時代の新たな視覚言語として読み直すという内容でした。それから4年、ヨーロッパを拠点としている一部の作家が自分たちの活動を表す名称として、同展覧会のタイトルをそのまま使用しはじめます。これはロンドンのGalleries Goldsteinで2011年に開催された「Asbestos Curtain, a new phase in Comic Abstraction」という展示に端を発し、当時の参加者の多くがグラフィティ・ライターでありながら、アートからファッションやグラフィックデザインまで領域を横断的に活動するアーティスト達でした。
1970年代後半のグラフィティの誕生より、ライター(グラフィティを描く人達)はレタリング表現、つまり文字をいかに面白く表現するかを競い合ってきました。次第に一部のライター達がレタリングの横に加えてコミックキャラクターを描きはじめます。ディズニーなどのメジャーなキャラクターや、ヴォーン・ボードのアンダーグランドコミックのサンプリングから始まり、1990年代にはライター達が独自の「グラフィティらしい」オリジナルのキャラクターを創出し、街の壁に描き始めました。
続いて90年台後半から00年台半ばにかけては、世界各国のライター達がこのようなキャラクター表現を発展させ、より抽象的で脱記号的なコミック表現へと発展させていきます。(これはインターネットで二次創作コミックスが広まる時期と重なります。)最初は1つのキャラクターの姿をグラフィティに描くことから始まり、そのうちにキャラクター同士をコラージュしたり、またはコミックスに見られる背景の描画や吹き出しまでを表現に取り込み、コミックが生み出したあらゆる表現様式を作品に取り入れていきました。
グラフィティは元来書道やカリグラフィーのように、文字の抽象表現を発展させていくアートフォルムでした。故にグラフィティの表現世界から生まれたComic Abstractionは、コミックスを解体し、新たな時代の視覚言語として再構築されたムーブメントと言えるのです。ライター達は世界各国のコミックスやアニメーションの歴史を掘り下げながら、都市の壁からインターネット、ファッション、グラフィックデザインにいたるまで、様々な分野のフィールドに表現を侵入させていっています。本展覧会はこのようなComic Abstractionをひとつの動向として大体的に取り上げる、世界でも希にみる機会となります。
参加アーティストは、アメリカのグラフィティ史における功績はもとより近年現代美術シーンでも評価が高いTodd James。ヨーロッパのグラフィティシーンのオリジネーターの一人で、アニメーションからインスタレーションまで幅広い表現を実践するフランスを拠点に活動するAntwan Horfee。そして自身のファッションブランドGasiusのディレクターを務めながらも、Comic Abstractionに関する企画を最も精力的におこなうイギリス人アーティストRussell Maurice。他にはポーランドを拠点にしているZbiok、Stachu Szumski、日本からはDIEGOといった、Comic Abstractionのシーンから選び抜かれたアーティスト達です。 是非ともこの重要な機会をお見逃しないよう「COMIC ABSTRACTION BY WRITERS」をご高覧ください。