高木:今日はBIENさんよろしくお願いします。今回の個展『PlanetesQue: The Case of B』が、今年5月に恵比寿のスペース Peopleで開催された『プラネテス・ク:Yの場合』の延長線上にあること。そして、2021年3月に開催されたPARCELでの個展『DUSKDAWNDUST』ぶりにBIENの作品をみる人からするとBIENの印象が変わっているんじゃないかと思う。このインタビューではそこの溝を埋めつつ、BIENの個人史を遡りながら、色んな側面から話を聞けたらと思います。まずポートフォリオを見させてもらって、BIENの3行プロフィールがあると思うんやけど。
1993年東京都生まれ。ドローイング表現を基礎とし、絵画や彫刻など多様なメディアで作品を制作。アニメのキャラクターといったフィクションが生み出すかたち、文字や記号などの表象に着目し、それらが持つかたちや意味を解体/再構築する抽象表現を展開する。
これを読んだり、ググった時に出る一番最初にでる記事とか、どれが一番読まれてるのかよくわからへんけどBE AT TOKYOの2021年のこのロングインタビューとかではさ、「東京生まれ」「ストリートカルチャー」「アニメーション、フィギュア」とかのキーワードがやはり出てくる。でも近年のポートフォリオに掲載されている作品を見ると、このキーワードや34行のプロフィール文から離れていくことに果敢に挑戦している印象があった。それは金沢21世紀美術館で開催したSCAN THEWORLDとしての展覧会の『アペルト17 SCAN THE WORLD [NEW GAME] 』のときも思ったこと。でもこれは後でも喋りたいから、先に、Peopleでの展示について、聞いてもいいかな?
BIEN:
まず、『プラネテス・ク』という作品自体のスタートについて軽く説明すると、作品がポータブルであることを考えたんだよね。どこにでも持っていける箱の中に、展開できる作品が入っているって感じ。それから、いろいろ考えた結果、俺がいなくても、自分個人としての作品とは別に、「BIEN」が代替可能で、不特定多数の人によって制作される作品があったら面白いなって思ったんだ。誰かがこの箱を開けた場所で、作品が自動的に生成されるようなものを作ってみたいなっていう構想が最初にあった。そしてそこにまるでおみくじみたいな、偶然性とかゲーム的な要素があったら場所や環境に縛られず、ただその時にしか見ることができない展示が作れるんじゃないかと考えた。この作品の基本的な内容は4つあって、あの箱=家の中に入っていて、絶対的に毎回登場するのは「サイコロ」と「天秤」と「ライト」と「メトロノーム」だけで、それ以外には確定的に存在するものはない。それらを使うことと、指示に従って周囲の環境を少しでも取り入れた作品を作ることで、展示が完成する。
そして、『プラネテス・ク:Yの場合』と題した最初の展示のプレイヤーは吉田山さんだったんだけど、吉田山さんは展示会場だった恵比寿のPeopleにあるものを使って、そこにあったデザイン書を積んだり、持ってきた物を置いたり、結構シンプルでたくさんの謎が含まれた展示になった。もちろん自分だったらやらないような事ばかりで、知らずに見た人は驚いたかもしれない。でもこれもまた、このゲームの面白さなんだなって思ったことがあったかな。
今回のPARCELの展示では、2023年6月1日に、俺が箱を持ってきて、開けたことで、サイコロの目が決まって、それを使って展示をすることが決まった。それからずっと考えてて、どうしようかなって。今回は『Yの場合』と比べて、箱を開けてから展示の開始まで制作期間があるんだよ。色々試行錯誤したり、普通にペインティングを描いてみたり。俺がBIENとしてあの箱に振り回されて展示を作るっていうことをやろうと思ってて、って感じなんだけど。
結果として『プラネテス・ク:Yの場合』は面白かったよ。サイコロの数字や、ルールも何がどう適用されてるかがプレイヤーである吉田山さんの中でしか明確にされてないから、分からない部分が多くて、それもまたこの作品で作られるひとつの面白さになっていたと思う。
モノとして分かりやすい作品みたいなものがあるわけじゃないんだけど、見る人によってはそこからすごい色々読み解こうとして、考えて面白がってくれる人がいたりとか、人によっては分からない、なんだこれっていう人もいたし、みたいな感じだった。
高木:
この作品を不特定多数のみんなにやってほしいみたいな感じがあるんよね? 例えば、SCAN THE WORLD(以下、STW)の時のBIENなら、作品が「遊び」であること。スケボーとかグラフィティとかになるような設定。フルクサスやネオ・ダダのような、開かれたインストラクション的な作品のあり方か。結局それは閉じられたコミュニティの中での見方になっているんだろうね。
いつか忘れたけど、BIENと話しているときにメール・アートの話になったやん。何かを指示したりとかする作品のあり方。僕が好きなハンス・ウルリッヒ・オブリストの場合、《Do It》というアーティストによるインストラクション本があるんですけど、あれは作家による作品を制作してくださいっていうインストラクション。あくまでも作家の個性を確保するためのもので、不特定多数に開かれた遊びではなく、設計者がいる状況の中で本を開けばどこにいたって、アートを体験する方法の提示みたいなものだと思う。
でも今回のBIENが出した作品が、どれくらいオープンなのかというのが聞いてみたい。このポータブルで、チャンスに溢れていて、ゲーム性のある作品の最終的なあり方が聞けたらなと。実際にそこまで想定して作られているかは分からないけど、最終的にはプロダクトにもなる可能性もあるかもしれないけど。
BIEN:
うん、なんかこの作品はやっぱり、最初にモノが必要だから、結構オープンな感じに見えるけど、実際にできるのは近くの人だけって感じになっちゃうんだなと思ってる。今もまだそうかもしれないけど。俺は本当に誰でもできるようにした方がいいと思ってるんだけど、ただそれはまだ想定の範囲内って感じかな。
なんか、オセロとかの版ゲームが超小さいキーホルダーになってるじゃん。あれぐらいの大きさの小さな家があって、どこでもそういうことができたら面白いなって思ってるんだ、あれが普通にトイザらスに売ってたりするといいなっていう、そんな気持ちはあるかな。
あれは媒介するものとして、その周りのこと、それを使ったり見たり考えたりして展示を作ってほしいっていう感じで言ってるんだ。媒介っていうか、きっかけ(チャンス)になるようなもの。その世界を見るときの、そういうきっかけになるようなものだと思ってるんだ。多分、普通、俺はずっと考えてて思ってたんだけど、他の作家からしたら普通にやってることかもしれないなって思ってる。
でもそれを一つのフォーマットみたいに考えてみたんだよね。それで言うと、マジでオープンにしたい。すごくやりたい。ただ今の時点では、そんなにすぐにはできないなって感じだけど。
高木:
うん、そうだね。展覧会に関しては、作品としての想定としてオープンにしてもいいっていう前提で作られている。僕が展示に行ったのはおそらく3日目くらいだったと思うんだけど、その時はこの作品の操作方法が明示されてなかったんだよね。ただ、普通に普段のBINEの作品を知っている人にとってはわかりにくいと思った。だからParcelの展示では何か説明の要素を足すんかな?
BIEN:
そうだね、足すよ。今作ってる最中で、今回はフライヤーポスターの裏面をルールにしようって話になってる。「家があって、その中に何があって、こういうふうにいろいろ指示があって…」って感じ。だからその程度の説明で、みんなが見られる状態にしようと思ってる。
高木:
なるほどやね。楽しみや〜。前回の展覧会の振り返りをしたんやけど、もうちょっとここからはBIENの個人史を振り返っていきたいなっていうふうに思ってます。
多分印象としてはさっきの3行文の書いてたイメージみたいなものが強い人も多いと思うけど、別のことを言えば、なんかすごい平面的なところから、より立体的になって、世界に開かれて言っている印象がある。BIENがさっきいってた「世界を違ったかたちで見る」みたいな方向性に作品のアウトプットも変化してきていると思ってて。
前回のPARCELの個展では、砂を持ってくるみたいな・・ああいうわけわからんものとか。『GREEN GREEN GRASS OF HOME』 (HAITSU, 2022, Tokyo)であったりとか。これが変化のあらわれなんじゃないかって思ってる。なんでその変化について改めて聞いておきたいなって。
BIEN:
そうっすね。なんか、俺の中では変わってはなくて元々あって、なんか結構ずっとやってることは自分の中では変わってないなって印象で。結局、なんか普通に生きてて、うんいろいろ見てて、なんかまず、世界っていうのがよくわからないもんだなっていうのが基本的にあって。
わけわかんないと。で、そのわけわかんないものを、うんわけわかった風に生きてたけど、いやわかんなくねみたいな。そういうようなことを作品としてやりたいっていうのがあって。
ドローイングっていうのもそれに近いっていうか。だから最初っから俺はそのつもりなんだけど、なんかふにゃふにゃの何かのキャラクターっぽいものがいっぱいあったりとかするけど、でもわかんないじゃん。うにゃうにゃしてて。でも言うと見えてきたりとか、そういう何か認識の境目みたいな動きになって作ってたけど。そういうどこまで自分が普通だと思ってるかみたいな、キャラクターが見える見えないみたいなのが。多分それがやっぱ俺は平面が好きだったから、ポスターだったりとかが出発としてそういうのさそがあったけど、その平面だけじゃなくて、映像、インスタレーション的にもっと感覚としてそういうものが生まれたものも作りたいし、だからその一部として、ドローイングとかがあるみたいなイメージなんすよね。
その『GREEN GREEN GRASS OF HOME』とかもそうだし。あれは俺が作ったわけわかんないオブジェをみんなにデッサンしてもらうっていう内容で、あのわけわかんないオブジェは、実は別に何にでも当てはまるっていうようなことを言いたくて。だから、あのモチーフがリンゴでも別によくて、うんでもリンゴっていうのはみんな、知っちゃってるから名前がついて赤いもんで、ツルツルしてて、こういう形でみたいな。だから捉えづらいんだけど、そういうものとして。でも、全部このぐちゃぐちゃの黒いやつと一緒じゃねみたいな、いうようなふうなことをしたくてああいうことしてってとか。
あと砂の作品は、最初PARCELが出発で、そこからBLOCK HOUSEまで持ってったんだけど、あれは彫刻の延長みたいなものだと思っていて、あの砂の山みたいなものをPARCELで作ってたんだけど、その一部を俺が持って、ずっとBLOCK HOUSEまで持ってくっていう。山として裾が広がってるんだよね、ずっと砂が伸びてって。でも散っていったりとかするから、見えないし途中が途切れてるかもしれないんだけど、一応、気持ち的には繋がってる、みたいな。概念的には。彫刻が伸びていってて、でも、それがいつから彫刻じゃなくなって、いつから塵になっているのか、っていう。それをやりたくて歩いて行ってる。だから、なんかあの山の一部が今もどこかで残っているみたいなことをしたくて。なんかそういうふうに作ってる。
自分でも考えてて思ったんだけど、そういうバラバラになっていくとか、1個だと思ってたりとか、完成してるふうに見えてたものが実はバラバラの一部だったりとか、みたいなことが面白いなって思ってて。ドローイングが崩れてくっていうか動いたりとかするのも、キャンバスの作品とかってやっぱりその1個で見ちゃうけど、そのその横がまだあるみたいなつもりで作ってる、あのパネルの作品は。途切れてて、実はまだあるけど、今はここだけしかないですみたいな。全部がピースの1個で、全体が見えてないみたいなような意味でパネルとかを作ってる。なんかそういう感じで、よくわかんないしあんまり見えてないっていうような状態が作りたいのかなとか思ってる。
スタートがドローイングだったから、やっぱりビジュアルで見られがちだけど、そういうふうなことを考えて作ってますっていう感じです。
高木:
なるほどです。「世界の見方を変える」というのが、BIENの制作の根幹としてある。ただ、テマティックにBIENを語る際に、ストリートカルチャーやサブカルチャーというキーワードどキーワードが前に出てくる。でも結局、一番大事なのは自分の好きなものから創造行為や考え方がやってくる。テマティックなBIENと今まで話してくれたBIENの整合性とか聞きたいな。
BIEN:
それで言うと、グラフィティライターの人たちによる街の見方や遊び方。STWでもそれらを踏襲してる。街において、この隙間をこうやって進んだらあっちに行けるとか、いろんな抜け道を知ってたり、見方が違ったりしてて、それはやっぱり面白い。俺は元々すごいスケートカルチャーやバンドがするカルチャーとか好きなんだけど、それってやっぱりDIYで物事を違う見方をしていったりとか、既存のシステムから外れて面白いことをやってるみたいな態度が好きだから。あとひとつ、みんなというか大多数が言うような、普通って言ってもないと思うけど、そこからちょっと外れて遊ぶみたいなのが多分好き。多分オルタナティブが好きなんですよ。オルタナ。バンドとかでも。
高木:
そのオルタナに出会えるってのがすごい羨ましかった。自分の話しで恐縮なんだけど、東京に上京してきて、東京で10代を過ごした人たちのオルタナを見つけ続ける態度は嫉妬まじりのオモロイがある。特に東京生まれ、東京育ちのアーティストの人とかからはそれをすごい感じる。それは東京の面白いところなんやと思う。日本の中では図抜けて。今、BIENがやろうとしてる本作は、作家性や作品のあり方から始まり、展示の方法論をとおして、オルタナティブ道を追求している。本作品をもうちょっと美術史的な角度から聞いてもいいですか?当然なんだけどBIENは現代アートにも相当触れてると思う。今回の作品だと、どこから着想を得たりとかしたんですか?
BIEN:
そうだね。実際そんなにこれっていうのはなくて。フルクサスとかはもちろん好きだからあるし・・でもあんまりないんだよな。やっぱり箱とかで言ったらデュシャンの《The Green Box》とか。でもフルクサスの影響は大きい。
高木:
フルクサスとはどう出会ったの?
BIEN:
どうしてだろうな。ちょっとわからないな。もしかして『STUDIO VOICE』に載ってたのかな?好きだったから雑誌が。個人的にフルクサスの好きなところは、まず単純にビジュアルがかっこいい。なんかよくわからないけどかっこいいから欲しいなみたいな。で、よくわかろうとしたら更に内容が面白いみたいな。そういうところがあるかも。うん、美術史的にすごく細かい何とかこういうのをいいなみたいなところがあるけど。でもそれってやっぱり魅力的なのは物の方かもしれないな、俺にとっては。
なんか、全然違うけどイサムノグチの《モエレ沼公園》とかもすごい好きで、山ドンドンドンって。あと、普通にストーンヘンジとか。まず、ああいうふうに、モノが圧倒的に語りかけてきて、中にある思想や内容が濃い感じ。なんか遺跡っぽいようなのとか・・。なんか美術史的な意味での影響は俺あんまりないなって思うわ。
高木:
僕が『プラネテス・ク:Yの場合』を見たときに美術史的な参照を感じた。「メトロノーム」とかは、もろフルクサスやみたいな。メトロノームがバーって何種類も違うテンポで刻んだやつなのかなとか。あと「天秤」だとジョージ・マチューナスがデザインで塩見允枝子による《フルクサス・バランス》。このポータブルで運べる作品の形はデュシャン。なんか美術史的に要素を分解してしまった。でも一方で、この新作から個人的に感じた1番のBIENぽさは、この箱=家をなんかゴロゴロって誰かが引いていくところがすげえBIENっぽいなって僕は思った。東京の街の振動が、あの車輪を伝って、サイコロ=コマを動かし続けて、開けるときにはてんでバラバラに展開される。そこが僕の知ってるBIENアーティスト像とピッタシきた。泥臭くモノをきちんと作り、それがとっても魅力的。偶然性を愛するみたいなアーティスト像。これらが本作では結実しているなってのが僕の所感。美術的なリファレンスへBIENを重ね合わせることももちろんあったけど。あの箱を引いて歩いていくBIENの姿、プレイヤーの姿ってのが結構僕はエモかったんす。あの展示で。っていうのは今日伝えておきたいなとは思ってたんだよね。
BIEN:
なんか、あんまり意図してないけど、そういう泥臭さ、滑稽さみたいなのは面白いなと思ってた。モチーフが家っていうのもあって、それが動いてくっていうのは、面白いなと思ってて。なんかあの家はそれを引いていく人そのものだと思ってて。それが移動してくみたいな、一緒にね。そういうイメージ。パーソナルスペースみたいなものがその人だとしたら、それが一緒に動いていくっていう。
高木:
なるほどね。移動っていうキーワードに紐づいてくるんやけど。今回の展示を東京でやることについても聞いてみたい。『Reborn-Art Festival』(石巻)とか、『PROJECT ATAMI』(熱海)であったりとか、その後、STWとして金沢にも来てくれたり。BINEは東京以外のローカルな場所でも活動してきているから。ローカルと東京との比較じゃないけど。
BIEN:
自分の話で言うと・・・場所はどこでもいいっていうのがある。どこにいても作品制作のスタートポイントは、サイトスペシフィック的なところじゃないから。俺の見方っていうのはどこでも多分変わらずにあって、土地の文脈とか関係なしに。
なんだろうな、今回の展示も繋げて言うと、
また、この作品に関連して言えば、俺のイメージでは、あの家が開かれた、周囲の場所にはさまざまな文脈や歴史があるだろうけど、それに関係なく、その人の視点で作品を制作できると思っている。特別な気負いがなくてもいい。今回のPARCELで展示する際も、特にその土地の過去や背景に焦点を当てるつもりはない。基本的な作品制作の方法として、そういったアプローチが多いかな。
制作の始点が非常にフラットで何かを見ること。そんな風に自分で捉えてる。
高木:
そのスタンスが持てるのはすごいな。僕はその土地の文脈とか歴史とかにズブズブになっちゃうから。ちょっともう1個質問、もう一回美術における場所性の話しをしたい。今回はPARCELっていうホワイトキューブで展示を行う。ある種物が見やすい場所やと思うんやけど、スーパー美術のための場所だよね。とはいえPARCELも空間のクセがめっちゃ強くて面白いし、広い。Peopleのときよりもいろんな要素が入ってくるんだろうなとは思いつつ・・でもそこまでそんなに気負ってないかもやけど。そのPARCELという場所についてどうおもう?
BIEN:
いや、それはあるよ 笑 どうしよう、みたいな・・。毎日。。
そうですよ。それはあります。もちろん、ってか個展ってなると俺はどこでもそうだと思う。不安なんで・・
高木:
今回PARCELっていう展示の舞台で、BIEN自らで設計した作品システムをみずからプレイするわけやけど、何が一番、考えるポイントってなんなの?展示を作る感覚なのか?それとも真にプレイする感覚なのか?主体と客体が入り交じるよね。
BIEN:
単純にね、そうだな、自分が設計したものがあるから、それをどう使おうかって考えてる。個展だし、一人だけど、その設計に従わなきゃいけない制約があるから。この制約とどう向き合っていくかって感じで作ってる。なんかね、自分で自分にルールを課してるんだけど、その難しさはすごいなって思ってる。変な話だけど、自分でルールを作って、それを面白く使う方法を考えて困ってるんだ。でもそれがあるから・・それがないと俺が出せないものっていうのもあるなと思ってて、本当にただの個展で、俺が一人で発表します、みたいな状況だったら出てこないアイデアとかが、多分今回の作品のおかげで生まれてくる。多分ね。
あとこれが美術の展示なのか、それとも真に開かれたゲームなのかっていう質問だけど、俺はそこを結構分けて考えてない。だから、多分基本は自分が作家だから展示になる。だから、それが、開かれてないものって言われちゃうと、そうかもしんない。普通に展示っていうもので、多分作ろうとしてるから。ただそれで言うとそれは、誰かがボードゲーム的に家の中で同じことやってもおもろいと思うから、それは結構場所によっちゃうと思う。どこでやるかとか、どうやるかによって。俺がやるのは多分普通に美術の展示だと思う。
高木:
なるほど。他でも行われてるやつとかって見たいなって思う。例えば誰かの家とか、森の中とか。
BIEN:
うん、思う。でもまだ、すぐに誰でもできるみたいにはならないし、多分大事なのはそう思えるってことも一個ある。見る人が。なんか、自分にはできないな、じゃなくて、全然できるように作ろうとしてるから。そのヴィジョンを想像できるっていうのは、めっちゃ大事。
この後もこのシリーズは続くから、誰かにやってもらいたいんだけど、俺が一緒についてったりとかになると思う。ある程度やっぱアシストしながら作っていくことになると思う。でも別に本来は俺はいらないっていう感じっすね。
高木:
今回でまだ二回目、一回目は他人が、プロトタイプとして、一回目はこれを作ったらどうなんやろってテストして。二回目はBIEN自身がちゃんとプレイする。やってみないと分からないことだとは思うけど、三回目は多分二回目を経て変わっていく。ロングスパンの作品なんやね。
BIEN:
そう。なんかロングスパンでやってみたら面白いかもって思ってる。しばらくこの作品からは離れて、なんかずっと別にやんなくて、急に時間を置いてまた急にやってみたりとかしてもいいかもしれないし。なんかそんな風に作品が継続されて時間を熟成されたらいいな。
高木:
やっぱり展覧会って美術展示としてどう空間的に成立するかっていう、空間の問題がすごい大きい。時間の問題を内包した作品って、これだけ慌ただしい現代だからこそすごい魅力的だと思ってる。BIENの場合はすごいモノが魅力的なのよ、本当に。なのに、大らかな時間性を考えてるっていうのは、今回のシリーズとか、『Green Green Glass of Home』からもそう。作品のもつ生、時間の問題を考えている。これは今考えないといけない。作品だけじゃなくて、記録の方法やインストラクションとかも含めて。過去の作家だって、相当面白いことしてたのに、その当時の記録がなくて、インストラクションがインストラクション以上の膨らみを持ってこなかったりって場合も多い。どうしても思いを馳せることのできない時間の問題を噛み締めて、現代の僕らはいろんな形や最適な形で残すであったり、展示って形で伝えていく必要がある。今回のBIEN展示でも、この側面をすごく見たいなとは勝手に思ってるよ。まだ展示は始まってないけど、今日は、この作品の未来まで聞こえてくるような話をありがとう。めっちゃ楽しみにしてます。
2023年6月13日
Do it
https://artsandculture.google.com/project/do-it
ジルクレモン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3
BIENが観た演劇
https://www.ycam.jp/events/2020/the-5-by-5-by-5-legged-stool/
BIEN追記06/29
いれる必要あるかわからんけど
ブルーノムナーリの絵本とか積み木とか迷路遊びの参考はあるかも
http://ubukata.cocolog-nifty.com/my_favorite_things/2007/12/post_3b92.html
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/blog/entry.php?id=blg00094
これとか
enzo mari big stone game
前にホテルの部屋を作った時に参考にしていて、その時は部屋の作品の要素としてパープルームのアランくんと遊び方に特にルールがないボードゲームのオブジェ的なものを作ってて
今回はその時に作ったイメージを経て更新してさらにフルクサス的なインストラクションも込みの作品になっているのかもしれない。。
”現代美術”てよりもこういうプロダクトとかデザイナーの影響はあるのかも。。
イサムノグチとかもそうか。。
あとは映画の中にでてくる何か重要なプロップみたいなイメージとか
適当に例あげるとハリーポッターの分霊箱みたいな。。
他にもこういう知育本?とかはずっとソースにある
https://biblio.sg/book/walt-disneys-words-name-things-vincent/d/1181470699
点繋ぎとか文字探しとかそういう遊びの部分
小さい子が世界を認識するための最初の教材とか好きで面白いなて思ってる
それがゲームとかおもちゃとかドローイングに繋がるのかも